天台宗の僧成尋の母を作者とする自撰歌集。成尋は1072年(延久4)62歳で宿願の宋に渡ったが,故国に残された80余歳の老母は,別離の悲しみと成尋の身に思いを馳せる心情を切々として詠歌に託した。集は上・下巻に構成され,上巻は1067年(治暦3)10月から71年まで,成尋の京の門出の前後を中心にした71首(うち長歌1首),下巻は初頭部分を上巻と重複させて尽きせぬ感懐を述べ,71年1月30日から73年5月までの104首,合計175首をほぼ年代順に収める。詞書は長大であり,わが子の入宋のいきさつを回想的に叙述してゆく構想や,悲嘆の情をくり返し述べる綿々たる文章は,家集の詞書というよりも,和歌を多く含む日記としての性格が濃厚である。作者は1073年の85歳ころまで存命したことが確かであるが,成尋の帰国をまたずに没したらしい。家集以外の和歌活動はなく,子に寄せる母の思いでこの集の成ったことが察せられる。
執筆者:藤岡 忠美
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平安後期の日記文学的家集。2巻。成尋阿闍梨母(源俊賢女(としかたのむすめ))が、80余歳の高齢に達してから、わが子成尋が求道(ぐどう)のために渡宋(そう)したときの悲しみを、和歌と散文をもって書き綴(つづ)ったもの。別れる前、成尋とともに暮らした岩倉(京都市左京区)から、1071年(延久3)正月成尋の兄弟で仁和寺(にんなじ)の律師(りっし)(一説では成尊(じょうそん))のもとに移り、翌年3月成尋の渡航、さらに翌々73年に至る期間の成尋の音信や作者の切々たる心象、それに往時の回想をも交えて、2、3回に次々まとめられたか。「貴(たか)きも賤(いや)しきも母の子を思ふ心ざしは、父には異なる」といった哀切な母性と、別離の感傷とをもって全体を貫いたところに特異性があるが、しだいに再会への期待のむなしさと、成尋も言い遺(のこ)した極楽への悲願を強めていく。
[木村正中]
『宮崎荘平訳注『成尋阿闍梨母集』(講談社学術文庫)』▽『平林文雄著『成尋阿闍梨母集の基礎的研究』(1977・笠間書院)』
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