マンスーラ
al-Manṣūra
エジプト北部,ナイル・デルタ地帯にある都市で,ダクハリーヤ県の県都。人口36万9621(1996)。1219年第5回十字軍に占領されていたディムヤートを奪回するため,アイユーブ朝のスルタン,カーミルが軍営として建設した。ナイル・デルタ地帯中央部を流れるディムヤート支流の東岸に面しているので,交通の便がよく商業が発達した。16世紀初めにエジプトを掌握したオスマン帝国がデルタ支配の重点都市としたためいちだんと繁栄した。約30km離れてメンデスの古代遺跡がある。
執筆者:吉村 作治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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マンスーラ
Al-Manṣūrah
エジプト北部,ダカリーヤ県の県都で,ズムヤート川東岸の町。 1219年,サラディンの甥マリクアルカーミル軍の駐屯地として建設されたが,十字軍に占領された。 50年,十字軍を率いたフランスのルイ9世がマムルーク軍に敗れた地として有名。地名はアラビア語で勝利を意味する「マンスーラ」に由来している。デルタ北東部の綿花,米,アマの集散地で,綿織物,精米業が盛ん。近代的な町並みで,工科専門学校,総合大学がある。人口 35万 7800 (1986推計) 。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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マンスーラ
エジプトの北東部,ナイル・デルタ東部のディムヤート川に臨む都市。鉄道の分岐点で綿作地帯の中心地。綿紡績,金属加工などの工業が行われる。1221年にアイユーブ朝スルタンが創設。43万9000人(2006)。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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