改訂新版 世界大百科事典 「ドービニェ」の意味・わかりやすい解説
ドービニェ
Théodore Agrippa d'Aubigné
生没年:1552-1630
フランスの詩人。サントンジュ地方の貴族の家に生まれ,幼時より充実した古典語,人文学の教育を受ける。1560年父に連れられてアンボアーズ蜂起事件の処刑者のさらし首を目撃し,以後一貫してプロテスタントの立場をとることとなり,68年以降プロテスタント軍の兵士として宗教戦争のただなかに突入して行く。70年から3年にわたり,ロンサールの優雅な恋愛詩にならい恋人ディアーヌへの思いを綴った詩集《春》(1874)を執筆する。72年サン・バルテルミの虐殺をあやうくのがれ,ナバール王とともに南仏に脱出。77年負傷し,90年にいたる間に《悲愴曲》(1616)を書く。これは9000行を超える宗教的叙事詩であり,プロテスタントの立場からフランスの民衆の悲惨を嘆き,王侯の独善を非難し,受難者たちを賛美し,復讐と審判を説く。激烈な用語,鮮明なイメージは劇的な効果を持ち,誇張,歪み,変転を特性とする〈バロック〉の文学のすぐれた作例とされるが,すでに成立しかかっていた調和と洗練を重んずる古典主義的趣味とは対立するものであり,同時代への影響はまったくなかったと見られる。ナバール王はアンリ4世となり,93年カトリックに改宗して国王の地位を固め,ドービニェは憤激のうちにみずからの世界を守る。《世界史》3巻(1619-26)は16世紀後半のプロテスタントの闘争を記述したものであり,小説《フェネスト男爵の冒険》(1617)は社会,習俗の風刺となっている。1620年ジュネーブへ亡命し,その地で没した。
執筆者:荒木 昭太郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報