フランスの喜劇作家,滑稽詩人。若くして病気のため肢体不随になったが,その才気により〈ビュルレスク〉(滑稽詩)と呼ばれるジャンルの創始者となった。貴顕の男女,友人などにわざと卑俗な語を使ってふざけた詩を贈ったり,古典の名作を俗な語法,誇張し茶化した文章でパロディ化する(《戯作ウェルギリウス》1648)など,一貫してビュルレスクの文体を作り,1650年前後にフランスに大流行するもととなった。特に古典のパロディはあまりの流行にその卑俗性が行きすぎた感も出て,50年代後半には,スカロン自身否定するほどになった。しかし世間の目ではスカロンはビュルレスクの主導者であり,ボアローら古典派の非難を受けることとなった。スカロンはまたスペイン喜劇に題材を借り,特に当時名高かった喜劇俳優ジョドレを主人公とした喜劇《ジョドレ》(1645)で成功を収め,また地方を巡演する劇団やその俳優たちの生態を面白おかしく描いた小説《ロマン・コミック》(1651-57),スペイン物からの翻案によるいくつかの中編小説などを生み出し,現代でもなお読まれている。ボアローらの悪口にもかかわらず,教養あるすぐれた文人であった。なおスカロンは不具であったが,1652年アグリッパ・ドービニェの孫娘と結婚した。この女性が将来,ルイ14世の晩年の寵妃マントノン夫人となる。
執筆者:福井 芳男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
フランスの詩人、劇作家、小説家。パリに生まれ没す。宗門に入り、1633年、司教シャルル・ド・ボーマノワルに仕え、ル・マンに赴く。40年パリに戻るが、すでに悩んでいた結核性リウマチが高じて、身体(からだ)はねじれ、足は萎(な)え、以後椅子(いす)に座ったきりであったが、病苦に屈せぬ彼は『ビュルレスク詩集』(1643)、『ティポン、または神と巨人の戦い』(1644)、『戯作ウェルギリウス』(1648~59)によってすべてを滑稽(こっけい)しさる道化調(ビュルレスク)burlesqueの流行を促す一方、『ジョドレ』(1643)、『平手打ちをくったジョドレ』(1647)、『滑稽な相続人』(1649)などの喜劇を発表した。52年に詩人アグリッパ・ドービニェの孫娘にあたる薄幸の孤児フランソアーズ・ドービニェFrançoise d'Aubigné〔後のルイ14世の寵妃(ちょうひ)マントノン夫人(1635―1719)Mme de Maintenon〕と結婚、そのサロンは彼の才知と妻の美貌(びぼう)でにぎわった。代表作としては、田舎(いなか)町ル・マンを舞台に展開する旅役者一座と、これを取り巻く町の人々が醸し出す数々の滑稽で陽気な事件を語る現実派小説の傑作『ロマン・コミック』Roman comique(1651~57)がある。
[渡邊明正]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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