ムファレレ(その他表記)Ezekiel Mphahlele

改訂新版 世界大百科事典 「ムファレレ」の意味・わかりやすい解説

ムファレレ
Ezekiel Mphahlele
生没年:1919-

南アフリカ共和国出身のアフリカ人作家。プレトリアスラムに生まれ,ヨハネスバーグで教師生活を送る。1952年バントゥー教育法に反対,教職を追放されて後は《ドラム》誌などで活躍したが,57年ナイジェリアへ亡命,この地で発表した《二番通り》は自伝小説傑作といわれる。以後ケニア,フランス,アメリカ,ザンビアなどを転々とし,78年祖国永久復帰した。この間,イバダンでムバリ,ナイロビでチェムチェミなどの作家・芸術家クラブを結成したほか,《ブラック・オルフェウス》誌の編集,1961年パリで文化の自由会議,62年カンパラで第1回アフリカ人作家会議などを主宰し,一時期ネグリチュード批判の先鋒に立ったこともある。小説に《放浪者たち》(1971),短編集に《人は生きねばならぬ》(1947),《生者と死者》(1961),《Bコーナーにて》(1967),評論集に《アフリカン・イメージ》(1962),《旋風の中の声》(1972)ほかがある。南ア復帰後の長編に,架空黒人独立国の高級官僚独善と無能を風刺する《チルンドゥ》(1979)がある。
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百科事典マイペディア 「ムファレレ」の意味・わかりやすい解説

ムファレレ

南アフリカ共和国の黒人作家。プレトリア(ツワネ)のスラムに生まれ,過酷な人種差別と貧困の中で教師の資格を取り,ヨハネスバーグで教師生活を送っていた。1952年バントゥー教育法に反対して教職を追放され,《ドラム》誌の副編集長を務める。南アフリカ政府から危険人物と見なされ,1957年ナイジェリアに亡命。この地で1959年に発表した《二番街にて》は貧民窟で育った子ども時代を描いており,自伝小説の傑作とされている。1978年に祖国に永久帰国するまでケニア,フランス,アメリカ,ザンビアなどを転々とし,《ブラック・オルフェウス》誌の編集に携わったり,1961年パリで文化の自由会議,1962年カンパラで第1回アフリカ人作家会議などを主宰した。小説に《放浪者たち》(1971年),短編集に《人は生きねばならぬ》(1947年),《生者と死者》(1961年),《Bコーナーにて》(1967年)などがあり,評論集《アフリカのイメージ》(1962年)は大きな影響力を持つものであった。ほかに評論集《旋風の中の声》(1972年),南ア復帰後の長編で,架空黒人独立国の高級官僚の独善と無能ぶりを風刺した《チルンドゥ》(1979年),もう1冊の自伝《アフリカ,わが音楽》(1984年)がある。

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