メンジーズ(英語表記)Robert Gordon Menzies

改訂新版 世界大百科事典 「メンジーズ」の意味・わかりやすい解説

メンジーズ
Robert Gordon Menzies
生没年:1894-1978

オーストラリア政治家ビクトリア州生れ。メルボルン大学卒。ビクトリア州首相(1932-34)を務めたあと,1939年統一オーストラリア党内閣の首相となった。41年党内対立で辞任し,44年反労働党分子を糾合して自由党結成した。49年地方党と連立して総選挙に勝ち,以後66年まで,歴代首相のなかで最長の在職記録を樹立した。第2次大戦後のめざましい経済成長を背景に移民受入枠の拡大,外資導入の奨励,医療施設の整備,私学や高等教育への助成などを推進した。イギリス王室への崇敬の念があつく,外交政策はイギリス,アメリカとの協調路線をとった。ANZUS(アンザス)条約調印,東南アジア条約機構への積極加盟で反共外交を進め,国内では共産党非合法化を図ったが,国民投票(1951)で敗れた。56年のスエズ問題ではイギリス代表団を率いて,ナーセル首相と話し合った。《午後の光》(1967)など著書が多い。
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百科事典マイペディア 「メンジーズ」の意味・わかりやすい解説

メンジーズ

オーストラリアの政治家。1930年代から中央政界で活躍検事総長・首相等を歴任。1941年下野して自由党を結成,党首となる。1949年―1966年首相として対米接近・集団安全保障政策を推進し,ANZUS条約に調印した。

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世界大百科事典(旧版)内のメンジーズの言及

【オーストラリア】より

…戦死・行方不明者281名を出す一方,羊毛の特需で牧羊業者は大もうけした。 このような国内状況を巧みに外交政策と結びつけ,内心は対英依存,実質は対米依存の上に確実に国家を存続させたいという国民多数の心情を基に,1949年から66年まで長期政権を築いたのが後期自由党(1944結成)のメンジーズであった。アメリカ,ニュージーランドとのANZUS(アンザス)条約(1951調印),東南アジア条約機構への加盟(1955)によって反共政策を確立し,同時にアジアが共産化するのは生活水準の低さに起因するとの見地から,イギリス連邦諸国をまとめ,のちには日本,アメリカその他の国々もまじえ,東南アジア諸国への技術援助を軸としたコロンボ・プランを主導した。…

※「メンジーズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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