ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「モシェシュ2世」の意味・わかりやすい解説
モシェシュ2世
モシェシュにせい
Moshoeshoe II
[没]1996.1.15. レソト,マロティ山中
レソトの初代国王(在位 1966~90,1995~96)。君主制の確立に苦闘し,2度亡命,1度は退位を強いられた。本名 Constantine Bereng Seeiso。マセルのロマ大学で学び,その後イギリスのアンプルフォース・カレッジとオックスフォード大学コープス・クリスティ・カレッジに留学。バストランドにソト王国を建国したモシェシュ1世の子孫で,1960年に家督を継いでバストランドの最高首長となる。1966年にバストランドの独立に伴い,祖先の名を継ぎ,モシェシュ2世として初代国王となった。憲法上はかぎられていた国王の権能の拡大を試みたことから,同 1966年12月にバソト国民党を率いるレアブア・ジョナサン首相により自宅軟禁に置かれ,1ヵ月後に憲法を尊重することに合意。これにより事実上,首相が行政権を握ることになった。1970年の議会選挙で野党のバソト会議党が勝利すると,ジョナサンは国家非常事態を宣言,モシェシュ2世は再び軟禁され,4~12月オランダへの亡命を余儀なくされた。1990年にはイギリスに亡命。亡命中に民主選挙の実施を画策したことから,1990年に退位させられ,長男の皇太子がレツィエ3世として即位。しかし国民の間では依然として人気が高く,1991年にイライアス・ラマエマ少将が政権を掌握すると復位が計画された。レツィエ3世と南アフリカ共和国のネルソン・マンデラの支援を得て,1995年1月25日に復位した。1996年に自動車事故で死亡,レツィエ3世があとを継いだ。
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