ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラテンアメリカ経済機構」の意味・わかりやすい解説
ラテンアメリカ経済機構
ラテンアメリカけいざいきこう
Sistema Económico Latinoamericano; SELA
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ラテンアメリカの地域的経済統合機構の一つ。略称SELA(セラ)。アメリカなどの域外国を除外して、中南米諸国のみで協力しあい、自立的経済発展を図ろうとするものである。1974年にメキシコ大統領エチェベリーアが提唱した地域的経済統合機構構想に基づいて、翌1975年7月関係国間で設立が合意され、同年10月17日にパナマにおいて「ラテンアメリカ経済機構設立協定」が23か国によって調印された。発足は翌1976年6月7日。SELAは、対域外共通戦略の協議・調整、域内の経済的統一の強化、共通経済政策の策定、加盟国企業の育成、輸出の奨励などを目的としており、加盟国はメキシコ、キューバを含むラテンアメリカ27か国で、本部はベネズエラのカラカスに置かれている。内部機関としては、最高機関であるラテンアメリカ理事会、特定プロジェクトごとに関係国で構成される行動委員会、常設事務局がある。
[横川 新]
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… 70‐76年に政権を担当したエチェベリア大統領は,このようなメキシコ高度経済成長期のひずみの深化と世界的な石油危機という二重の難題を抱えながら,国際政治の舞台でリーダーシップを発揮した。1974年末エチェベリア提唱の〈国家間の経済権利義務憲章〉が国連で採択され,翌75年にはラテン・アメリカ経済機構(SELA)の設立にメキシコは指導的役割を果たした。1970年代後半には次々に発見される膨大な石油資源を基礎にした石油開発戦略と自主外交が顕著となった。…
…73年22ヵ国が締結したリマ協定に基づいてラテン・アメリカ・エネルギー機構が結成され,エネルギー需給における域内協力の進展による石油危機対策が打ち出された。75年には25ヵ国によって締結されたパナマ協定に基づきラテン・アメリカ経済機構が結成され,イデオロギー抗争を排して実利主義に依拠したラテン・アメリカ全域の経済社会発展を目ざすことになった。 こうした域内経済社会開発を資金面で支える組織として1959年に米州開発銀行,61年中米経済統合銀行,70年アンデス開発公社およびカリブ開発銀行,78年ラテン・アメリカ準備基金など地域開発金融機関が次々と発足していった。…
※「ラテンアメリカ経済機構」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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