リキメル(読み)りきめる(英語表記)Flavius Ricimer

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リキメル」の意味・わかりやすい解説

リキメル
Ricimer, Flavius

[生]?
[没]472.8.18.
西ローマの将軍。スエビ人の首領と東ゴート王女との子。シチリア侵入を企てたバンダル族を破り,456年軍の実権を握るとアウィツス帝を退位させ,友人のマヨリアヌスを西ローマ皇帝に推戴,みずからは貴族に列せられ,459年執政官 (コンスル ) になった。やがてマヨリアヌスと不和になり,461年バンダル族に大敗してガリアから帰ったマヨリアヌスを退位させ処刑。次いでリビウス・セウェルスを西ローマ皇帝に推戴。政敵マルケリヌスやアエギディウス押え,再三イタリアやシチリアに侵入を試みるバンダル,東ゴートを防いだ。リビウス・セウェルス帝の死 (465) 後も,アンテミウスオリブリウスらの傀儡帝を擁して,東ローマ (ビザンチン帝国) からの干渉を打ち破ったが,みずからは,アリウス派のキリスト教徒で,蛮族の出身であったため,帝位につけなかった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「リキメル」の意味・わかりやすい解説

リキメル
りきめる
Flavius Ricimer
(?―472)

末期西ローマ帝国の将軍で実力者。スエビ人首長の子でアリウス派キリスト教徒。456年アウィトゥス帝に任じられてバンダル人のシチリア侵入を撃退。まもなくアウィトゥスを退位させて実権を握り、マヨリアヌスを西帝に擁立したが、彼の有能さを警戒して461年に処刑。かわりに西帝にたてたリウィウス・セウェルスが465年に死ぬと、しばらく空位状態が続いたが、467年東帝レオがアンテミウスを西帝として送り込むと、リキメルはアンテミウスの娘と結婚して勢力を保った。やがて両者対立が激化し、472年リキメルはオリブリウスを擁立してアンテミウスを倒したが、まもなく彼自身も死んだ。

[島 創平]

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