リンツ綱領(読み)リンツこうりょう(英語表記)Linzer Programm

改訂新版 世界大百科事典 「リンツ綱領」の意味・わかりやすい解説

リンツ綱領 (リンツこうりょう)
Linzer Programm

1882年9月1日に発表された,オーストリアにおけるドイツ民族主義運動の基礎となった綱領。この綱領の作成には,ドイツ民族主義運動の指導者であったシェーネラーGeorg Schönerer(1842-1921),フリードユンク,V.アードラーなどが参画した。綱領はドイツ民族主義的要求として,オーストリアとハンガリーによる君主連合国の設立,国家条約によるドイツ帝国との同盟の強化,他民族のハンガリーへの併合,国定言語としてのドイツ語の使用を,自由主義的要求として結社集会,出版の自由および選挙法の改革を,社会政策上の要求として,労働者階級の組織,工場法の改革,婦人児童労働の制限,工場監督官の配置,労働災害に対する雇用者の賠償義務などをかかげるものであった。リンツ綱領は,19世紀末のオーストリアにおけるドイツ民族主義運動に大きな影響を及ぼした綱領であり,一面,自由主義的・社会改良主義的な方向を有してはいたが,反面,民族主義的要求として,他民族に対するドイツ化,併合,抑圧を容認した〈初期帝国主義的〉色彩をもった綱領であった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「リンツ綱領」の意味・わかりやすい解説

リンツ綱領
りんつこうりょう
Linzer Programm ドイツ語

1882年9月1日に発表された、オーストリアのドイツ民族主義的な政治綱領起草にはシェーネラーを首唱者として、アドラー、ハインリヒ・フリートユンクHeinrich Friedjung(1851―1920)など、各派の民族主義者15人が参加した。綱領は、民族主義とともに社会改革的な特色をもち、その第一部では、ドイツ人によるオーストリア帝国の保持を目的として、オーストリア・ハンガリー帝国否認、ハンガリーとは同君連合とし、スラブ系諸地域を分離して特別行政区とするなど、抜本的な国政改革を要求した。第二部は、選挙法改正、言論・集会の自由、軍事費削減、累進課税、労働者・農民保護の政策など進歩的な内容を含むものであった。

[中井晶夫]

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世界大百科事典(旧版)内のリンツ綱領の言及

【オーストリア社会民主党】より

… この時期,社会民主党は党の牙城である〈ウィーン市〉の行政・社会政策に積極的に取り組むとともに,23年には民兵組織である〈防衛同盟〉を組織した。オーストリア・マルクス主義の模範的綱領と呼ばれる26年のリンツ綱領は,民主主義を階級闘争の基盤とし,民主主義の手段によってブルジョアジーの階級支配を粉砕すると規定するとともに,ブルジョアジーが反革命によって民主主義を破壊しようとした場合,労働者階級は国内戦により国家権力を掌握することを確認した綱領であった。しかし,多数の死傷者を出した27年7月の労働者のデモと警官の衝突事件は,国家権力の側からの社会民主党と労働者大衆に対する公然たる弾圧であり,社会民主党は後退を余儀なくされるにいたった。…

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