リー・クワンユー(読み)リークワンユー(その他表記)Lee Kuan Yew

百科事典マイペディア 「リー・クワンユー」の意味・わかりやすい解説

リー・クワンユー

シンガポール政治家。〈建国の父〉とされる。漢字では李光輝。広東省からの移民4世で,現地のラッフルズ・カレッジ,英国のケンブリッジ大学を卒業後,シンガポールに戻り弁護士として活躍。1954年人民行動党を結成し独立運動を指導,1959年自治権獲得とともに自治政府首相に就任。1965年8月シンガポールのマレーシアからの分離独立に伴い,首相となる。強烈な個性と指導力により,工業化を推進して先進工業国に発展させ,華人,マレー人,インド人などを平等に扱いつつ,英語教育による国民統合を進めた。その反面,公共の利益に反したり,秩序を乱したりすると政府が判断した報道を差し止められる法律をつくり,言論や集会の自由を制限,政敵を名誉毀損訴訟など法的手段に訴え野党伸長を抑え込んだ。さらにごみの投げ捨てや喫煙など生活の細部まで規制する権威主義的な徹底した管理統治は西欧社会から批判されたが,短期間に多民族・多宗教のシンガポール社会で安定的な近代国家を形成した政治手腕は,のちに西欧諸国からも高く評価されるようになった。1990年11月首相の座を後継者のゴー・チョクトンに譲り,上級国務相に就任。2004年,シンガポール内閣顧問。2011年,閣僚ポストから退くことを表明した。
→関連項目マーライオン像

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改訂新版 世界大百科事典 「リー・クワンユー」の意味・わかりやすい解説

リー・クワン・ユー (李光燿
)
Lee Kuan Yew
生没年:1923-

シンガポール共和国の政治家。シンガポールの客家(ハツカ)の家に生まれ,シンガポールのラッフルズ・カレッジおよびイギリスのケンブリッジ大学に学んだ。1950年弁護士の資格をとり,翌年シンガポールで開業したが,54年人民行動党を組織してその書記長となり,政治活動に入った。55年立法議会議員となり,59年シンガポール自治国首相に就任した。63年マレーシアが結成されると,シンガポールはその1州として参加したが,65年には分離してシンガポール共和国となり,リーはその首相となった。彼の思想は現実的社会主義者のそれで,共産主義とは厳しく一線を画している。その政治は社会的正義の実現を目標とし,社会主義的な経済政策はとらず,現実的な近代化,工業政策をとった。90年首相を退いたが,上級相として閣内にとどまり,にらみをきかせている。
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世界大百科事典(旧版)内のリー・クワンユーの言及

【シンガポール】より

…その一方で植民地体制から独立への移行も着々と進められ,55年の総選挙後D.マーシャルが首席大臣となり(のちリム・ユウ・ホックと交代),イギリスとの間に独立交渉がもたれた。59年の総選挙でリー・クワンユーの率いる人民行動党が圧勝し,シンガポールは彼を首相とする自治国となった。そして63年8月31日,完全独立を宣言し,同年9月16日,マレーシア連邦の結成に一州として参加した。…

※「リー・クワンユー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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