ロペス(Jennifer Lopez)
ろぺす
Jennifer Lopez
(1970― )
アメリカの歌手、女優。ニューヨークのサウス・ブロンクスで生まれたニューヨリカン(ニューヨークのプエルトリカン)。歌手リッキー・マーティンRicky Martin(1971― 、プエルト・リコ)、歌手クリスティーナ・アギレラChristina Aguilera(1980― 、エクアドル+ロシア)、大リーグの選手サミー・ソーサ(ドミニカ共和国)らとともに、上の世代であるグロリア・エステファン(キューバ)が先駆的に体現した、ラテン系移民の増大に伴うアメリカ合衆国の急速なラテン化を象徴する存在である。
ファン・クラブの女性に射殺されるという非運の死を遂げたチカーナ(メキシコ系アメリカ人女性)の歌手セレーナSelena(1971―1995)の伝記映画『セレーナ』(1997)でその生涯を演じ、全米4000万人近いラティーノ(中南米およびカリブ海諸島などのスペイン語圏出身者)人口の半分近くを占めるチカーノ系に支持され、スター街道を登り始める。その後、ヒップ・ホップやサルサなどを満載したアルバム『オン・ザ・6』(1999)を発表。このアルバムでは、ホームタウンであるサウス・ブロンクスとマンハッタンを往還する地下鉄6号線を象徴的に用いた。すなわちサウス・ブロンクスをプエルト・リコ、マンハッタンをニューヨークで象徴させ、そこを往還する地下鉄によりシークレット・メッセージとしてラティーナ/ニューヨリカンとしてのアイデンティティも打ち出していた。
また、数々の映画にも出演し、ラテン系移民のなかで新しいアメリカン・ドリームを体現する役割をも担った。歌手、女優としての成功後は徐々に普通のアメリカン・ポップスの歌手、大物ハリウッド女優へと階段を上がっていき、ラティーナ色を薄める方向に向かう。一方で、女優としてセクシーな役柄だけではなく、強い女性や母親を演じるようになる。これはマチスモ(男権主義)の強いラティーノ社会で、1990年代に入ってからフェミニズムが台頭し、サルサの女性歌手ラ・インディアLa India(1969― )などが表象した新しいラテン女性(ラティーナ)像を、音楽や映画のメイン・ストリームで展開したものである。このような意味でロペスは、エスニシティ、アメリカのポップ・スター・アイコン、ジェンダー/セクシュアリティなどの問題が一身に集中する21世紀の女性スターの典型である。そのほかのアルバムに『J. Lo』(2001)、主演映画に『イナフ』(2002。監督マイケル・アプテッドMichael Apted(1941―2021))などがある。
[東 琢磨]
『東琢磨編『カリブ・ラテンアメリカ 音の地図』』▽『Ed MoralesLiving in Spanglish; The Search for Latino Identity in America(2002, St. Martin Press, New York)』
ロペス(Francisco Solano López)
ろぺす
Francisco Solano López
(1826―1870)
パラグアイの政治家、大統領(在位1862~70)。前大統領カルロス・アントニオ・ロペスの息子で、ヨーロッパに遊学後、アルゼンチンの内戦を調停するなど外交的手腕を発揮した。父の死後、36歳で大統領に就任したが、国の国際的地位を高めようとするその積極的外交が裏目に出て、1864年にブラジル、翌年にはアルゼンチン、ウルグアイを加えた三国同盟軍との戦争を余儀なくされた。国の総力をあげ、少年をも動員したこの戦争(パラグアイ戦争ないし三国同盟戦争ともいう)の陣頭指揮をとったが、国内各地を転戦中にコラ丘陵で戦死し、パラグアイの敗北が確定した。戦争の引き起こした人的・物的損害は莫大(ばくだい)であったが、今日では愛国の英雄と評されている。
[松下 洋]
ロペス(Fernão Lopes)
ろぺす
Fernão Lopes
(1380?―1460?)
ポルトガルの年代記作家。ドゥアルテ王子にポルトガル歴代国王の年代記の執筆を命ぜられ、第一王朝のすべての国王の年代記をありのままに書いたといわれる。彼は15世紀最高の散文作家であり、同国歴史編纂(へんさん)の創始者である。主著『ペドロ国王年代記』(1735刊)、『フェルナンド国王年代記』(1895~96刊)、『ジョアン1世国王年代記』(1644刊)。
[濱口乃二雄]
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ロペス
Fernão Lopes
ポルトガル中世の最大の文筆家。生没年不詳。14世紀から15世紀半ばごろの人と推定されている。《ドン・ペドロ王時代史》《ドン・フェルナンド王時代史》《ドン・ジョアン王時代史》などの著書がある。ロペスまでの〈歴史家(クロニスタ)〉は史料を無批判に編集するにすぎなかったのに対して,彼は及ぶ限りさまざまな史料を集め,分析し,検討したうえでそれを利用した。その視点は複眼的で,歴史を動かす原動力の一つとしての民衆にも鋭い注意を払った。この点では当時のポルトガルのみならずヨーロッパの〈歴史家〉のなかではきわめて特異な存在で,近代的な意味での〈歴史家〉でもあった。
執筆者:池上 岑夫
ロペス
Francisco Solano López
生没年:1826-70
パラグアイの大統領。在任1862-70。パラグアイに共和制を導入した父カルロス・アントニオ・ロペスCarlos Antonio L.(1844-62年大統領)の後継者として1862年大統領に就任。経済発展に努めるとともに軍事力を増強し,ラ・プラタ諸国の調停者たらんとして64年末パラグアイ戦争に突入。大統領みずから軍を率いて戦ったが,70年3月1日コラの丘の戦で戦死。パラグアイ愛国の英雄とされている。
執筆者:今井 圭子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ロペス
López, Francisco Solano
[生]1827.7.24. アスンシオン
[没]1870.3.1. セロコラ
パラグアイの軍人,政治家,独裁者。大統領 (在任 1862~70) 。 C.ロペスの子。 18歳のとき代将としてアルゼンチンと戦い,1853~55年外交使節として渡欧。 55年陸相に就任,近隣諸国の内紛にたびたび介入した。 62年父の死によって大統領となり,独裁体制をしいて,軍隊を強化。ウルグアイのブランコ党を支援したが,ウルグアイ,ブラジル,アルゼンチンの反発を招き,64年3国を相手とするパラグアイ戦争に突入。陸軍元帥として陣頭指揮をとったが,70年ブラジル軍により殺害され,パラグアイの敗戦が決定した。パラグアイはこの戦争によって領土と全人口の半分以上を失い,国力は著しく疲弊した。
ロペス
Lopes, Rodrigo
[生]?
[没]1594.6.7. タイバーン
イングランドの女王エリザベス1世の侍医。ポルトガル生れのユダヤ人で,1559年本国の宗教迫害を逃れてイングランドに亡命。ロンドンで医師として開業し,名声を博して,86年女王の侍医に抜擢された。 94年反スペイン派の指導者2代エセックス (伯)からスペイン政府と通じて女王毒殺の陰謀をたくらんでいるとして取調べられ,強引に処刑された。これは反スペインの機運をあおろうとしたエセックスのでっちあげ裁判と考えられている。シェークスピアの『ベニスの商人』中のシャイロックのモデルとされる。
ロペス
López, Vicente Fidel
[生]1815
[没]1903
アルゼンチンの歴史家,ジャーナリスト,政治家。 J.ロサス独裁に反対して 1840~52年チリに亡命し,ロサス批判の文筆活動を続けた。 53~61年アルゼンチンに帰り,J.ウルキサ大統領を支持。ウルキサの失脚とともに再びアルゼンチンを去った。主著『アルゼンチン共和国の歴史』 Historia de la República Argentina (10巻,1883~93) 。
ロペス
López, Narciso
[生]1798. ベネズエラ
[没]1851.9.1. ハバナ
キューバ解放運動の先駆者。スペイン軍に入隊し,S.ボリバルのベネズエラ独立戦争弾圧に参加。 1823年キューバ,その後スペインに渡り,将軍,上院議員,トリニダード総督になったが免じられ,スペインに反抗する立場に変った。 48年のキューバ反乱に失敗してアメリカに亡命。キューバのアメリカへの併合を主張。 50,51年の2回キューバ上陸を企てて失敗,捕えられ処刑された。
ロペス
López, Carlos Antonio
[生]1790.11.4. アスンシオン
[没]1862.9.10. アスンシオン
パラグアイの政治家,独裁者。大統領 (在任 1844~62) 。在任中は J.フランシア前大統領の孤立政策を若干修正してブエノスアイレスとの交易,ローマ教皇庁との外交関係の樹立などを実施し,内政面でも道路建設,学校建設など国の近代化に努めた。しかし在職 18年間中,国際的には多難で,アメリカおよび近隣国との関係は円滑でなかった。
ロペス
Lopes, Fernão
[生]1380頃
[没]1460頃
ポルトガルの年代記作者。「ポルトガル歴史の父」と呼ばれる。平民出身であったが,トレデトンボ文書館に勤め,国王ジョアン1世 (名王) ,次いでドゥアルテに仕えてポルトガル歴代王の年代記を編纂した。国王の年代記作者ながら民衆の立場に立つ彼の歴史観は,主著『ドン・フェルナンド王年代記』 Crónica de Don Fernando (2巻) に最もよく表われている。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ロペス
パラグアイの政治家。1844年―1862年大統領。独裁者フランシア時代の鎖国政策をやめ,軍隊の改革,教育の普及,国営企業設立による産業振興,対外貿易の拡大などパラグアイの近代化に実績をあげ,同国を当時のラテン・アメリカの最先進国にした。その子F.ソラノ・ロペスは父の後継者として1862年大統領に就任。ラ・プラタ諸国の調停者たらんとして1864年パラグアイ戦争に突入し,1870年戦死。
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ロペス
Francisco Solano López
1826~70
パラグアイの大統領(在任1862~70)。パラグアイを開国し,近代化に努めた父カルロス・アントニオの後継者として1862年大統領となる。パラグアイの大国化をめざして国内開発と軍備を整え,ウルグアイへの勢力拡大を図るため,64年ブラジル,アルゼンチンとの戦争(パラグアイ戦争)に突入した。前線で指揮したが,70年セロ・コラの戦いで戦死した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
ロペス
体操、男子跳馬競技の技。側転跳び1/4ひねり前方伸身宙返り2回半ひねり(伸身カサマツ跳び2回ひねり)。名称はキューバの体操選手、エリック・ロペスから。
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
ロペス
生年月日:1827年7月24日
パラグアイの軍人,政治家,独裁者
1870年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内のロペスの言及
【パラグアイ】より
…同政権は独裁制の下で閉鎖的政策を堅持した。 彼の死後44年3月三権分立の新憲法が制定され,C.A.ロペスCarlos Antonio López(1792‐1862)が初代大統領に選出された。ロペス政権は開放的な自由主義政策を実施し,国の近代化,経済開発,外国との交流に努めた。…
※「ロペス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」