改訂新版 世界大百科事典 「経済発展」の意味・わかりやすい解説
経済発展 (けいざいはってん)
economic development
経済成長economic growthが実質国民総生産など一国経済の量的拡大をいうのに対し,経済発展は量的変化のみではなく,それに伴って生じる質的・構造的変化,すなわち生産力の構造や経済諸制度の長期的変化を含めたものを意味する。しかし,近年は国内所得格差の是正など,社会的公正が高まることを含める考え方が強まっている。つまり,量・構造・公正の変化でとらえられる概念なのである。またeconomic developmentは〈経済開発〉とも訳される。〈経済開発〉という用語は,〈経済発展〉と同義に用いられることも多いが,ふつう経済発展を実現するための政策的働きかけを意味する。
未開から現代に至る社会の発展を経済的指標によって区分して,経済発展の一般性を長期的に理解しようという試みは,F.リスト,K.ビュヒャーなどドイツ歴史学派の経済発展段階説以来,数多くなされてきた。一社会制度から他の社会制度への移行による歴史発展の必然性の原理と運動を,生産力と生産関係の間の矛盾にもとづく生産様式の弁証法的発展に求めたのがK.マルクスであった。原始共同体から奴隷制,封建制,資本制をへて社会主義に至る社会構成体の推移のなかに世界史の法則性を見いだそうとするものであった。
近年,ロストーWalt Whitman Rostow(1916-2003)は《経済成長の諸段階》(1960)で,生産力発展と工業化を軸に,伝統社会から離陸(テイク・オフ)によって高度大衆消費社会に及ぶ5段階を数えたが,アメリカ型大量消費を究極におく戦略的性格が濃く,離陸の指標などの数量的把握に特徴がある。
このような単線型の段階論を批判して,ガーシェンクロンAlexander Gerschenkron(1904-78)は19世紀ヨーロッパ工業史の分析から,先進国と後進国が同時に存在する場合,後進国は前者とは異なった発展をたどらざるをえないことを明らかにした。
現代世界と経済発展
経済発展は先進国を含むすべての社会にとっての課題であるが,この問題が現在,集中的にみられるのはアジア,アフリカ,ラテン・アメリカの低開発諸国においてである。現代の経済発展問題は低開発の問題だといえる。
第三世界の経済発展が世界的関心の対象となったのは第2次大戦後のことであった。それまでの植民地体制のもとにあっては,非西欧世界は分断され,植民地の貧困と停滞はそれぞれの宗主国の植民政策の課題にすぎなかった。伝統社会のおくれた諸制度や土着信仰からくる非合理な人間類型が停滞をもたらしているのだから,植民地支配を通じて教育を与え,諸制度の近代化を図り,合理的精神を陶冶するよう導けばよかったのである。
だが,植民地の独立が相つぎ,新興諸国にナショナリズムの高揚と,国連などを場とする連帯が強まってくると,東西冷戦を背景に,自立経済の達成に努力するそれらの国々に先進諸国から資金・技術の支援が行われるようになった。こうして,1950年代から低開発諸国の経済開発が広く論じられるようになり,経済学をはじめとする社会科学の諸分野で開発論,援助論が盛んになった。
だが,低開発性の問題は基本的に発展の量的差異としてとらえられていた。伝統社会に固有な社会的・制度的諸条件のため発展が阻まれているか,発展段階の後進性に由来するとされていたのである。このような見方の表現の一つが〈貧困の悪循環〉論であった。蓄積の乏しさのゆえに,需要・産出の両面において成長を実現しがたいとする袋小路論である。
先進国と低開発国の間の格差が,南北問題と呼ばれる世界的課題として重みを増すなかで,北側諸国や国際機関による開発援助が活発になった。その理由として,しばしば人道主義や世界共同体論があげられるが,軍事的・世界戦略的動機によるものが少なくない。また,帝国主義論的な過剰資本輸出という側面も重要である。だが,それだけではない。現代においては低開発諸国の開発が世界経済全体の成長に不可欠なのである。円滑な世界貿易の維持,経済ナショナリズムの台頭のもとでの市場と資源の確保,国内需給の調節機能などの面で援助は供与側に役立つ。低開発諸国の累積債務は国際金融体制それ自体にとって脅威なのである。他方,援助は受取国において十分な効果を上げることが少ないのみか,政治的・経済的従属と国内の社会的不平等を強める場合が珍しくない。援助が受取側より供与側により大きな利益を与えているという批判はしだいに強まりつつある。
南北問題の解決が叫ばれつづけ,〈国連開発の10年〉が1960年代と70年代にくりかえされ,北側諸国からの資金移転は膨大な額に及んだが,産油国と若干の中進工業国を別にすれば,低開発諸国と先進国との格差が是正されていない。
世界システムと低開発
低開発諸国のほとんどは近年まで植民地であったから,低開発性と植民地支配のかかわり,資本主義発展における植民地の役割などについては,マルクス,あるいはダットRomesh Chunder Dutt(1848-1909)などのインドの経済史家たちによって早くから論じられてきた。近年ではK.G.ミュルダールも発展の逆流効果を指摘している。
実際,パックス・ブリタニカと呼ばれた近代イギリスの繁栄はインドの貧困やアフリカ人鉱山労働者ぬきに語ることはできない。逆に現代インドの貧困は,イギリスのインド統治にみられる地税負担・貿易・為替・産業等の諸政策,とりわけ恩給など本国での支払にあてるため本国費と呼ばれる歳出中の相当の部分が年々インドから持ち去られた事実を想起することなしには,理解することはできない。また,コーヒーなどの商品作物の〈強制栽培制度〉をぬきにして19世紀のオランダの栄光とジャワの悲惨を語ることはできないであろう。だが,それにもかかわらず,第三世界の経済の現状を停滞や段階のおくれで説明しようとする俗流の単線型発展論は後を絶たない。
近年における経済発展論の新展開の一つは,従属学派やウォラーステインImmanuel Wallerstein(1930- )の〈近代世界システム〉論のような,低開発性を先進資本主義諸国との相互関係においてとらえ直そうとする理論の登場である。それは国民経済の枠をこえて,中心・周辺,あるいは中核・半辺境・辺境の相互関係を理論化し,世界的分業体制のもとでの収奪のなかに低開発を位置づけたのであった。低開発は本源的なものでもなければ,伝統的諸制度の残存のためでもない。中心部の先進資本主義国の発展を生み出した歴史過程そのものが周辺での低開発をもたらしたのであり,発展と低開発とは同じコインの表裏をなしている。これが〈低開発の発展〉である。
このような理解が南の諸国の南北間所得移転要求の理論的支柱としての役割を果たしていることは当然である。とりわけ,R.プレビッシュが創設にかかわり,初代事務局長を務めたUNCTAD(アンクタツド)(国連貿易開発会議)においては,低開発性の原因が国際的分業システムの不合理性にあることが強調され,市場メカニズム自体が批判されるに至り,ついに1974年には新国際経済秩序(NIEO(ニエオ))樹立宣言がなされたのである。
非西欧世界と経済発展
経済発展に関するもう一つの問題は,非西欧世界の発展の方向性である。
これまでの経済発展論においては,近代西欧の経験こそが一般であり正統であるとされてきた。西欧が他に先がけて産業革命をなしとげ,その恣意(しい)のもとに他地域を世界システムに組み込み,世界経済の中心となったのであるから,それは当然のことだったといえよう。そして,経済学は西欧市民社会を場として構築され,発展してきた。したがって,近代西欧にとって植民地としての位置づけしか与えられなかった非西欧世界に経済学が関心を向けることはまれだった。非西欧世界に西欧とは異なった状況がみられたり,市場経済の条理に外れるものがあっても,それらは非合理あるいは前近代なのであって,市場原理の浸透・貫徹により,やがては西欧近代に包摂され同化されるはずのものだったのであり,それに近づくことが発展だとされていたのである。
このような考え方の当然の帰結として,経済発展論に内在した問題は,経済学が市場経済制度を前提とした分析手法しかもたなかったので,第三世界諸国の分析に際しても,非市場経済部門とその市場経済への移行ないし乖離(かいり)の問題に関して十分な展望をもちえなかったことである。そして,〈北側〉で組み立てられ精緻(せいち)化された市場経済的アプローチが非西欧経済の分析にも適応しうるとする形式主義経済論的傾向が顕著であった反面,その社会に内在する固有の論理を見いだそうとする姿勢はみられなかった。
たとえば,価値志向と発展のかかわりについてみれば,M.ウェーバーのプロテスタンティズム論を借用して,その経済合理性と西欧資本主義の発展の関連を論じることはあっても,イスラム,ヒンドゥー,上座部仏教(東南アジア諸国に広まっている仏教の流派の一つ)の経済倫理について十分な検討を行うことはせず,低開発諸国においては合理性の欠如が停滞の要因だとする論法がどれほどくりかえされたことか。インド経済の発展を論じるとき,カースト制や聖牛をインド社会の論理からみようとせず,差別や前近代的経済行動の面でのみ理解しようとする例がいかに多いことか。
だが,K.ポランニーが指摘したように,市場経済社会なるものは,人類史のなかでは,特定の地域の特定の時代の,特殊な文化にかかわって成立したものだった。世界の諸地域は相互に規定しあってはいるが,同時にそれぞれ固有の価値と発展の運動法則をもっている。そのような多元的認識に立って,〈もう一つの発展alternative development〉を追求しなければならないのである。
この意味で注目されるのは,近年,西アジア,北アフリカのイスラム諸国で,原理主義の台頭に触発されて増えつつある〈利子のない銀行〉〈税に代わる喜捨〉などイスラム経済原理実践の動きである。成熟段階に及んではいないが,これまで普遍的経済原理とされてきた西欧型銀行や税制とはまったく別の経済原理の復権の主張であることは疑いない。経済発展の多元的性格を体現するものとして,また文化としての経済をとらえるための契機として,その展開を見守るところに,新たな経済発展論の地平が現れるであろう。
執筆者:高橋 彰
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報