フランシア(その他表記)José Gaspar Rodríguez de Francia

改訂新版 世界大百科事典 「フランシア」の意味・わかりやすい解説

フランシア
José Gaspar Rodríguez de Francia
生没年:1766-1840

パラグアイ独裁者アスンシオンに生まれ,アルゼンチンコルドバ大学で学ぶ。卓越した学識政治手腕によって,1811年のパラグアイ独立宣言後たちまち指導力を発揮し,13年フルヘンシオ・イエグロスと二頭政治を開始,翌14年最高執政者に選ばれ,16年終身執政者に就任。近隣諸国からの干渉を回避するため一種の鎖国政策をとり,国内産業振興,軍事力強化を目ざし,きびしい弾圧を行った。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フランシア」の意味・わかりやすい解説

フランシア
Francia, José Gaspar Rodríguez de

[生]1766.1.6. アスンシオン
[没]1840.9.20. アスンシオン
パラグアイの政治家,独裁者。エル・スプレモとも呼ばれる。アルゼンチンのコルドバ大学で法律,哲学神学を学び,1811年独立に際してフンタに参加,13年二頭政治の一人,14年任期3年の独裁官となり,17年終身独裁官に選ばれた。白人支配階級および教会勢力の弱体化に努め,異端審問所や十分の一税を廃止し,達見ある政治を行なった反面,家父長的専制支配者でもあった。対外的には徹底した鎖国政策をとり,対外貿易,外国人の入国を禁止,自給自足のための国内経済の育成に努め,人口の大多数を占めるグアラニー系農民を訓練して軍備を強化した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「フランシア」の意味・わかりやすい解説

フランシア
ふらんしあ
José Gaspar Rodríguez de Francia
(1766―1840)

パラグアイの政治家、建国の父。アスンシオンに生まれ、アルゼンチンのコルドバ大学で神学博士となった。アスンシオンで教員を勤めたのち弁護士に転じ、市議会で活躍した。1811年5月自治政府が設置されると、初代三頭政府の一員となり、13年フルヘンシオ・ジェグロスとともに共和国統領となった。翌14年、議会で4年間の独裁者に任ぜられ、16年終身独裁者となり、議会を閉鎖し反対派を厳しく弾圧した。独立直後の共和国の基盤を固めるために近隣諸国の介入を排し、人の往来はもとより交易をもいっさい禁止し、日本の鎖国政策に似た孤立政策をとったことで知られる。

松下 洋]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「フランシア」の解説

フランシア
José Gaspar Rodríguez de Francia

1766~1840

パラグアイの独裁者。1811年に始まる独立運動に参加し,14~40年最高執政官の地位にあった。対外貿易を制限し,人的交流を禁止する鎖国政策をとった。反対派に対しては厳しい弾圧を加えたが,土地の授与や選挙権の供与など大衆迎合策をも併用した。

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世界大百科事典(旧版)内のフランシアの言及

【パラグアイ】より

…同年6月独立後初の議会が開かれ,法律が制定された。統治体制は5人で構成される執政会方式から13年二頭政治に変わり,翌年にはフランシアの終身政権が発足,40年まで続いた。同政権は独裁制の下で閉鎖的政策を堅持した。…

※「フランシア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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