翻訳|England
イギリス(連合王国)の核心をなす地方で,グレート・ブリテン島の中・南部を占める。地名は5世紀にサクソン人とともにヨーロッパ大陸から来住したアングル人に由来するが,初めて史料に登場するのは890年ころである。日本で慣用的国名となっているイギリス(英吉利)や英国は,本来この地方のみを指す呼称である。東は北海,南はイギリス海峡によって大陸と隔てられ,西はウェールズ地方,北はスコットランド地方と隣接している。ワイト島,シリー諸島などの付属島嶼を含み,総面積は日本の九州の約3倍,イギリス全土の53%に相当する13万0357km2だが,人口は4914万人(2001)で全国の83%が集中する。
イングランドの地質は,南西部や北部で古生代の,また東部で第三紀から第四紀の地層が露出するものの,全体には中生代の岩石が卓越している。特にイングランドの大部分が海面下にあったジュラ紀,白亜紀に形成された砂岩や石灰岩が中部から南部を広くおおっており,それらの地域はその後のアルプス造山運動によって褶曲,隆起し,南西-北東の走向をもつ丘陵地帯となった。こうした地質構造を反映して,イングランドの地形はティーズ川とエクス川を結ぶ線を境に北西側の高地と南東側の低地に区分される。もっとも,高地とはいえ,イングランドの最高峰はレーク・ディストリクト(湖水地方)のカンブリア山脈にあるスコーフェル山Scafell Pike(978m)であり,ヘルシニア山系に属するペナイン山脈や南西イングランド高地も波浪状高原となっている。一方,低地にもドーバーの白亜崖で有名なノース・ダウンズ丘陵をはじめ,ソールズベリー,チルターン,コツウォルド,ヨークシャーの各丘陵が扇形に広がり,それらの間に粘土層の河谷が介在してケスタ地形を呈している。このため規模の大きな平野は,イースト・アングリア地方やフェンランド低地など東部で展開するにすぎない。気候は西岸海洋性気候に属するため温暖であり,一般に東部に比べて西部の方が夏冷涼,冬温和で年較差が小さい。また降水量に関しても,地形性降雨をみるレーク・ディストリクトなど西部は湿潤であるが,雨陰となるイースト・アングリア地方など東部が乾燥となって東西差が大きい。
イングランドの産業の中心は,産業革命以来の伝統を有する鉱工業にあるが,イギリス国内での比較的有利な自然を利用して,高度に資本主義化された農牧業も発展している。農牧業は自然・歴史条件などによって次の5類型に明瞭に区分される。(1)畑作農業地帯 ヨークシャーからイースト・アングリアにいたる年降水量750mm以下の東部乾燥地域では,小麦や大麦,テンサイ,ジャガイモを輪作する大規模な畑作が卓越する。(2)混合農業地帯 中世に二圃式・三圃式の共同耕地制が広範に普及していたミッドランズ地方やウェセックス丘陵などの中部漸移地帯は,現在でも小麦,大麦,エンバク,牧草の栽培と肉牛,豚の飼育による混合農業が盛んである。(3)酪農地帯 年降水量1000mm前後の西部湿潤地域を代表するのが酪農であり,ランカシャー・チェシャー平野,サマセット平野だけではなく,ミッドランズの丘陵部でもみられる。(4)放牧地帯 かつてケルト制度と呼ばれる粗放穀草式農業の地域であったペナイン山脈やコーンウォール半島では,湿潤な高原が永久草地として羊や肉牛の放牧に利用されている。(5)園芸農業地帯 南部海岸,ケント,フェンランド,ヨーク河谷などの飛地的地域では,それぞれの優れた気候,土壌,市場条件を背景に,促成野菜,果樹,花卉(かき),ホップなどの栽培が行われている。
次に鉱業に関してみると,全体に斜陽化が顕著である。特に中世から家庭暖房用に採掘されていた石炭業は,産業革命以後の内陸炭田の開発で一時期には輸出産業となったが,20世紀初期をピークに出炭量が減少し,1947年に全炭坑が国有化された。これは炭田の老朽化やエネルギー革命に伴うものであるが,イギリス全体ではエネルギー消費量の約39%(1980)をまだ石炭に依存している。主要炭田は,ニューカスルを中心とする最も歴史の古い北東(ノーサンバーランド,ダラム)炭田,および1890年代以降最大の生産量を維持しているヨークシャー,ダービーシャー,ノッティンガムシャーの炭田である。これに対し鉄鉱石生産の衰退はさらに激しく,産業革命を支えた西ミッドランドやクリーブランド丘陵の鉱山はすでに閉山し,わずかに東ミッドランドのコービーなどで低品位鉱が採掘されるにすぎない。
こうした国内資源の枯渇,海外資源への依存度増大は,イングランドの工業を変化させつつある。北東イングランド工業地域では,重工業の中心が従来のニューカスルからミドルズブラやサンダーランドへと移行しつつある。またランカシャー工業地域でも,発展途上国との競合で綿工業が打撃を受けたため,紡績・織物工場の機械工場への転換が促進され,さらには工業中心そのものがマンチェスター周辺から,石油化学・自動車工業などが立地する臨海のリバプールへと変化している。一方,ペナイン山脈東麓側のヨークシャー工業地域では,綿工業ほどの衰退はみられないが,羊毛工業の集中・専門化は進み,ブラッドフォードなどの西ヨークシャー諸都市で高級品の生産が行われている。また南ヨークシャーのシェフィールドには伝統ある鉄鋼業が立地している。かつて黒郷(ブラック・カントリー)と呼ばれたバーミンガム周辺のミッドランド工業地域は,鉄鋼業が縮小し,代わって自動車などの機械工業がコベントリーなどで発展している。最後にロンドン工業地域も消費財生産に特色を有していたが,テムズ河口への自動車工業の進出,ニュータウンへの軽工業の分散などの変化が顕著となっている。
イングランドは大陸と近接しているため,先史時代よりさまざまな民族が渡来してきた。石器時代にはイベリア系民族が,鉄器時代にはケルト人が新しい文化をもたらし,またローマ人は全土の征服によってイングランドに政治的・文化的な統一性を与えることになった。しかしローマはローマ型都市とローマ道路による軍事中心の支配を行ったため,その影響は低地地域のいわゆるシビルゾーンに限定され,さらにその範囲内でも,都市以外ではケルト的な要素が根強く残存した。現在の文化の基層を形成したアングロ・サクソン人は,5世紀半ばに初めてケントに上陸し,9世紀にかけてウェセックス,イースト・アングリア,ノーサンブリアなどの七王国を建国,それぞれの領域がイングランドの伝統的な地方となっていった。8世紀後半からはデーン人,ノルマン人の侵入を受け,1066年のノルマン征服(ノルマン・コンクエスト)にいたるが,その後も王室はウェールズ系のチューダー,スコットランド系のスチュアート,ドイツ系のハノーバーなどへ受け継がれていった。こうした複雑な民族の形成過程を反映して,言語面では,ケルト系言語やラテン語,古デンマーク語,古ノルウェー語などの要素が特に地名などの形で強く痕跡を残している。またノルマン征服後の2世紀間は,上流階層でフランス語が使用されていたが,1362年にいたってアングロ・サクソン系の英語が正式に公用語とされた。宗教面でも,1534年のヘンリー8世による国王至上法以来,プロテスタント系のイングランド教会(アングリカン・チャーチ)が中心となっているが,19世紀中期よりのアイルランド移民の流入により,ランカシャー,北東イングランドなどの工業地域ではカトリック教徒の比率が10%を超えている。行政上では1974年に大改革が実施され,40の歴史的なカウンティ(州)の廃止と,新たに大ロンドンをはじめとする七つの大都市圏域カウンティおよび39の非大都市圏域カウンティの設定が行われた。しかし同じ連合王国の一地方とはいえ,北アイルランドやスコットランドのような独自の議会や行政組織をもたず,イングランドが単独で意識されるのは宗教やスポーツなどの限られた場面のみである。
→イギリス
執筆者:長谷川 孝治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
イギリスを構成する連合王国の一つで、グレート・ブリテン島の大部分を占める地域。北はスコットランド、西はウェールズと隣り合う。面積13万0422平方キロメートル、人口4913万8831(2001)。34のカウンティcounty(県)と、大ロンドンGreater Londonを含む七つのメトロポリタン・カウンティ(大都市県)および46のユニタリー・オーソリティー(一層制地方自治体)からなる。南端は北緯49度57分、北端は北緯55度46分、東端は東経1度46分、西端は西経5度43分である。かなり北に位置しているが、メキシコ湾流とその上を一年中吹き渡る偏西風、周囲を囲む海洋の影響を強く受け、夏は涼しく冬でも比較的温暖な海洋性気候に恵まれる。冬でも港は結氷しない。降水量は年間を通じ平均しているが、風下側の東部低地は西部や北部の丘陵より少ない。
大部分は長年侵食された丘陵性の低地が広がり、ケスタ地形も発達するが、北部のペニン山脈や南西部のコーンウォール半島には500~1000メートルに達する老年山地が残っている。海岸線は変化に富み、テムズ川、ハンバー川、セバーン川などの河口には三角江が発達し、ロンドン、ブリストル、ハル、リバプールなどの良港が築かれた。温和で湿潤な気候と広い平野は、古来農牧業を盛んにし、変化に富む海岸線と緩やかで水量豊かな河川は内陸まで交易を活発にし、都市を発達させた。加えてペニン山脈の東西山麓(さんろく)に発達する古生層は石炭を豊富に埋蔵し、また低地帯を北東から南西へ縦断する中生層には鉄鉱石が多く、ペニン山脈から流下する水資源と結合して、ヨークシャー、ランカシャー、ミッドランドなどに、産業革命を通じて近代的工業都市群を数多く誕生させた。かくしてイングランドはイギリスの中心部を形成し、人口、農業生産、工業生産のいずれもイギリスの大部分を占めている。
交通網の発達も目覚ましく、ロンドンを中心にして放射状に幹線道路と鉄道が発達し、バーミンガム、ブリストル、リーズ、マンチェスターなどの主要都市とロンドン間はすべて高速道路で結ばれている。イングランドの核心地域はロンドン地区であるが、ケンブリッジやオックスフォードのような地方都市に著名大学があり、イングランド中部には主要工業地域が集中している。人口はスコットランドやイングランド北部から、イングランド南部へ移動する傾向がある。南西部のコーンウォール半島には、イングランド有数の観光地、保養地が多い。
[久保田武]
イングランドはその地理的位置のゆえに、先史時代以来、数多くの民族の移動の嵐(あらし)にみまわれ、そこには複雑な歴史が展開した。イングランドに巨石文化をもたらした先住民は、地中海および東欧から渡来したものであったが、紀元前7世紀、ケルト人が鉄器文化とともに移住し、先住民を征服してここに住み着いた。ブリタニア、ブリテン島という名称は、比較的後期にやってきたケルト系のブリトン人に由来する。彼らは多くの部族国家に分かれ、そこには政治的統一はみられなかった。しかし前1世紀のローマ人によるブリタニア征服は、このケルト系社会を大きく変えた。ほぼ350年間のローマの支配した時代に、イングランドの各地には、ローマ軍団の駐屯地から都市が生まれ、それらを結ぶ道路がつくられた。
しかしローマ帝国の衰退とともに、ケルト系民族に失地回復の動きがみられ、そこにゲルマンの民族移動の重圧が加わって、5世紀前半にローマが引き揚げたのちのイングランドは大混乱に陥った。移住してきたゲルマン系のアングロ・サクソン人は、抵抗するケルト系民族をこの島の北と西に押しやって、7世紀初めまでにイングランドの大部分を支配下に置いた。イングランドとは「アングル人の土地」の意味である。やがて政治的統合も進み、七王国(ヘプターキー)が形成され、覇権の争奪戦が繰り広げられたが、9世紀前半にウェセックス王国のもとに全イングランドは統一された。この間、ローマ・カトリック教会の布教が精力的に行われ、イングランドはカトリック世界に入った。
次に9世紀から11世紀にかけて北欧のバイキング(デーン人)が攻め入り、ブリテン島の東半分を占領し、その独自の言語や法制度などを通じて深い影響を残した。1066年のいわゆる「ノルマン・コンクェスト」によって、イングランドはノルマンディー公国と結び付いた複合国家の一部となったが、さらに12世紀なかばにアンジュー家のプランタジネット朝の成立により、イングランドは大陸に広大な領地を有する「アンジュー帝国」の属領たる観を呈した。しかしやがて大陸との絆(きずな)が弱まるにつれて、国家機構の整備も進み、羊毛工業の展開もみられ、イングランドはブリテン島内の先進地域として、大ブリテン島の統一を目ざすようになった。1707年、イングランドはかねて同君連合の関係にあったスコットランドと合同して大ブリテン王国をつくり、さらに海外への進出の歩みを早めた。
[今井 宏]
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グレート・ブリテン島の東部,中部,南部を占める地域。先史時代は大陸と地続きであったが,紀元前にケルト人が入り,1世紀にはローマの属州となり,5世紀にアングロ・サクソン諸族が侵入。そのうちのアングル人にこの地名は由来する。7~8世紀に「七王国」と呼ばれる複数の部族国家が並立する状況が出現したが,9世紀にウェセックス王国によってほぼ統一された。以後デーン人,ノルマン人の侵入を受け,大陸との関係も深まったが,テューダー朝の時代になると国家体制の整備が進み,1536年にはウェールズを,1707年にはスコットランドを,さらに1801年にはアイルランドを併合。19世紀においては「イギリス帝国」の中核としての地位を固めた。日本語の「イギリス」「英国」は,本来はこの地域に由来する呼称であったが,イングランドの拡大に伴い,適用範囲が曖昧になっている。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…ノルウェー海,北海,イギリス海峡によってヨーロッパ大陸から隔てられ,イギリス諸島の大半を占める。主島であるグレート・ブリテン島は面積約23万km2で日本の本州とほぼ等しく,行政上はイングランド,ウェールズ,スコットランドの3地域に区分されている。このほかアイルランド島北東部の北アイルランドやアイリッシュ海のマン島,イギリス海峡のチャンネル諸島を含む。…
…しかしローマ時代に入ると,最も遅くこの島へ移住したケルト系ブリトン人にちなむ〈ブリタニア〉の名称が定着し,今日のブリテンとなった。正式にグレート・ブリテンの名称が採用されるのは,1707年にイングランドとスコットランドが合同して連合王国を形成したときであり,フランスのブルターニュ地方をさすリトル・ブリテンと区別するため命名された。島は行政上,北部のスコットランド,南西部のウェールズ,中部・南部のイングランドに区分される。…
※「イングランド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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