パラグアイ戦争(読み)ぱらぐあいせんそう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「パラグアイ戦争」の意味・わかりやすい解説

パラグアイ戦争
ぱらぐあいせんそう

1864年11月から70年3月に及ぶアルゼンチンブラジルウルグアイ三国の同盟軍とパラグアイとの戦争。三国同盟戦争ともいう。ウルグアイでは1830年代以後、コロラド党とブランコ党の間で激しい抗争を繰り返してきたが、63年にブランコ党政府に反対してコロラド党が蜂起(ほうき)した。アルゼンチンとブラジルが反乱軍に加勢したため、ブランコ党政府はパラグアイに支援を求めた。同国はこれに応じ、64年11月ブラジルとの戦端を開き、65年3月にはアルゼンチンと戦争状態に突入した。この間にウルグアイでは65年2月にブランコ党にかわってコロラド党が政権の座につき、65年5月アルゼンチン、ブラジルとの攻守同盟を締結したため、パラグアイは三国を相手に戦うはめに陥った。パラグアイ軍は緒戦ではブラジル・アルゼンチン領で善戦したものの劣勢は免れず、70年3月、ソラーノ・ロペス大統領の戦死をもって敗戦した。この結果、パラグアイの国土戦前の4分の3ほどに減少し、人口も戦前の半分以下となった。とくに成人男子の多数が戦死したことは、男女の比をアンバランスにし、性モラルの低下私生児急増を招き、国の発展を遅らせる一因となった。

松下 洋]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パラグアイ戦争」の意味・わかりやすい解説

パラグアイ戦争
パラグアイせんそう
Paraguayan War

国境線と川の運航権利の問題,ウルグアイの内乱をはじめ,相互の内政干渉,パラグアイの独裁者 F.S.ロペス野心などに起因し,パラグアイと三国連合 (アルゼンチン,ブラジル,ウルグアイ) の間で争われた戦争。小規模な戦闘行為は 1864年に始り,宣戦布告は 65年になされた。 70年ロペスの死によってこの悲惨な戦争は終ったが,パラグアイは全人口の半分以上に及ぶ人命を喪失し,領土の一部をブラジルに割譲してその国力は著しく低下した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

マイナ保険証

マイナンバーカードを健康保険証として利用できるようにしたもの。マイナポータルなどで利用登録が必要。令和3年(2021)10月から本格運用開始。マイナンバー保険証。マイナンバーカード健康保険証。...

マイナ保険証の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android