ロンドンガゼット(その他表記)The London Gazette

改訂新版 世界大百科事典 「ロンドンガゼット」の意味・わかりやすい解説

ロンドン・ガゼット
The London Gazette

イギリスの官報。チャールズ2世がペストの流行するロンドンを逃れてオックスフォード宮廷を移していた1665年11月16日,《オックスフォード・ガゼットThe Oxford Gazette》として創刊される。革命期,1643年1月にチャールズ1世の宮廷で出された《マーキュリアス・オーリカスMercurius Aulicus》と《ロンドン・ガゼット》のいずれを最初の官報とするかについては論争があり,いまだ意見の一致をみていない。当初は木,金曜日の週2回刊。印刷は大学出版局の印刷者リッチフィールドLeonard Litchfield。その製作は国務大臣の監督下に置かれていたが,初期の編集者は王政復古期を代表するジャーナリスト,マッディマンHenry Muddimanであった。国王がロンドンに戻ってから,《ロンドン・ガゼット》と改題した。官報刊行の理由には,革命期以降,読者層の間に新聞を読む慣習定着,増大したこと,政治行政上の必要が増大したこと,この時期唯一の新聞発行を公認されていたR.レストレンジの新聞があまりに党派的で,体制の側にも不興を買ったことなどがあげられる。これ以降,製作技術,内容も充実し18世紀初期,アン女王治下ぐらいまでは,部数,ニュースの多さなどで,ほかの群小民間紙を圧する権威があった。その編集者のポストは収入もよく,当時多く文人の狙うところとなった。技術的にいちばんすぐれた設備をもって,ほかの民間新聞のモデルとなったところは,明治10~20年代の日本の《官報》と同様である。18世紀中葉にいわゆる〈官報〉になっていって現在にいたる。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のロンドンガゼットの言及

【官報】より

…初期は筆写版,のちには印刷され,宋・元・明・清代にも存続,《邸鈔》《朝報》《京報(けいほう)》などとも呼ばれたという。ヨーロッパで代表的なものはイギリス政府の官報というべき《ロンドン・ガゼット》で,1665年11月16日週2回刊の《オックスフォード・ガゼット》として創刊。翌年2月5日第24号から《ロンドン・ガゼット》と改題,それを契機に公式の政府広報媒体となったといわれる。…

※「ロンドンガゼット」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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