アイゼンシュタイン(読み)あいぜんしゅたいん(英語表記)Ferdinand Gotthold Max Eisenstein

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アイゼンシュタイン」の意味・わかりやすい解説

アイゼンシュタイン
あいぜんしゅたいん
Ferdinand Gotthold Max Eisenstein
(1823―1852)

ドイツの数学者。1840年代、ディリクレヤコービらとともに活躍した。ベルリン大学講師。1844年、三次体の単数群の研究を行い、さらにガウスの二べき剰余の相互法則を三べき剰余の理論に発展させ、のち1924年に、ハッセが導いた一べき剰余の相互法則の萌芽(ほうが)とした。またガウスの二次形式の理論を、三元二次形式の理論へと発展させたり、整数論的な級数の研究でも知られているが、今日、代数学の教科書で有名なのは次の定理である。

  f(x)=a0+a1x+……+anxn
において、係数a0,a1,……,an整数で、anが素数pの倍数でなく、a0,a1,……,an-1がすべてpの倍数で、しかもa0がp2の倍数ではないとすると、f(x)は既約である。

[寺田文行]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「アイゼンシュタイン」の意味・わかりやすい解説

アイゼンシュタイン
Ferdinand Gotthold Max Eisenstein
生没年:1823-52

ドイツの数学者。ベルリンのユダヤ系の家に生まれた。父が事業に失敗を重ね,不幸な家庭環境に育ったが,幼時より数学的思考に興味をもち,中学,高校で数学に卓抜した才能をあらわし,大学の専門過程の講義に出席していた。21歳のときにはA.L.クレレの主宰する有名な数学専門雑誌に多数の論文を発表した。しかし経済的には不安定で,またうつ病に悩まされ,彼の才能と人がらを愛したA.vonフンボルト好意で,ベルリン王室関係の援助を得て,かろうじて生活を続けた。クレレやC.F.ガウスにも,その才能を愛されたが,うつ病が悪化し,その数学的名声にもかかわらず,家庭からもベルリンの数学者からも孤立し,不遇の中で数学の論文を発表し続けた。フンボルトの好意や援助もむなしく,肺結核にかかり,29歳の若さで劇的な一生を閉じた。彼は式の計算に巧みで,短い生涯の間に整数論,不変式論,楕円関数論の分野で多くの業績を残した。アイゼンシュタインの相反法則,アイゼンシュタイン級数,整係数多項式の既約性に関するアイゼンシュタインの定理などで有名。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

367日誕生日大事典 「アイゼンシュタイン」の解説

アイゼンシュタイン

生年月日:1823年4月16日
ドイツの数学者
1852年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

潮力発電

潮の干満の差の大きい所で、満潮時に蓄えた海水を干潮時に放流し、水力発電と同じ原理でタービンを回す発電方式。潮汐ちょうせき発電。...

潮力発電の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android