精選版 日本国語大辞典 「整数論」の意味・読み・例文・類語
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整数についての研究を対象とする数学の学問領域。
不定方程式x2+y2=z2の自然数解をピタゴラス数という。すべてのピタゴラス数を求める方法が、ピタゴラスをはるかにさかのぼる紀元前2000年近いころにバビロニアで知られていたことを推測させる十分な証拠がある。そのことはまた、数学が、かなり早い時期から実用を離れた知的探究の対象となっていたことをも意味するであろう。
ギリシア数学の総決算ともいえるユークリッドの『ストイケイア』の第7巻から第9巻には整数論が扱われている。そのなかでも有名な命題をいくつか拾ってみる。
(1)素因数分解とその一意性。
(3)ユークリッドの素数定理 素数の個数には限りがないことの背理法による証明。
(4)2n-1が素数ならばa=2n-1(2n-1)は完全数、つまりaの約数の和が2aである。
この(4)の逆、すなわち偶数の完全数が前記の形に表せることは、のちにオイラーによって証明された。奇数の完全数の存在はまだ知られていない。なお、幾何学的色彩の強いギリシア数学のなかでディオファントスの『数論』を落とすことはできない。不定方程式の有理数解を扱ったこととともに、未知数を文字で表したことも重要な業績である。
[足立恒雄]
中世ヨーロッパにおいては整数論は学問としての体裁を整えなかったが、アラビアにおいてギリシアの古典が保存され、一定の研究がなされていた。文芸復興期以後ギリシア古典のラテン語への翻訳がされるようになったが、そのなかに、長らく埋もれていたディオファントスの『算術』のバシェClaude Gaspard Bachet de Méziriac(1581―1638)による翻訳があった。フェルマーは確率論の始祖、解析幾何的手法の研究者として知られるが、なかでも他の同時代の人たち(パスカル、デカルトら)と際だった対照をみせるのは、整数論に対する格別の愛好であり、したがってフェルマーは近代的整数論の始祖とよばれている。フェルマーの業績の一部を述べてみると
(1)フェルマーの小定理 pを素数、aをpで割れない整数とすると
ap-1=1(modp)
が成り立つ。ここにa≡b(modp)はa-bがpで割り切れることを意味する記号で、ガウスにより導入されたものである。
(2)p≡1(mod4)なる素数pは二つの平方数の和として表せる。
(3)ペル方程式x2-Ay2=1の研究。
などである。フェルマーは証明をほとんど残さなかったが、その言明した命題の大半は現在証明が得られている。ディオファントスの『数論』のピタゴラス数に関する記述から思い付いたという、フェルマーの予想とよばれた命題は、長くその真偽がわからなかったが、フェルマーがこの問題を提起してから約360年後の1994年、プリンストン大学教授のワイルズAndrew Wiles(1953― )によって問題の証明が完成され、1995年にその証明が正しいことが確認された。その命題を現在の記法で述べると、nが3以上の自然数であるとき
xn+yn=zn
を満たす自然数x、y、zは存在しない、というものである。
フェルマーに続く時代の整数論にもっとも大きな貢献をした数学者はオイラーである。オイラーは、nが3の場合にフェルマーの定理が正しいことを証明した。またフェルマーの言明した前記の4n+1の形をした素数が平方和に表せるという命題も、オイラーが証明を与えた。
[足立恒雄]
近代の整数論はガウスによって基礎づけられた。1801年刊行の『数論講究』Disquisitiones Arithmeticaeからいくつかの結果を拾ってみると
(1)作図可能な正多角形の確定。
(2)自然数の素因数分解とその一意性の厳密な証明。
(3)ガウスの整数の導入とその基本的性質の研究 x+iy(x、yは整数)の形の複素数をガウスの整数という。ガウスの整数の整除を定義し、素因数分解の一意性を証明した。これは後の代数的整数論の出発点となった。
(4)平方剰余の相互律 a、bを互いに素な整数とするとき、aが法bの平方剰余であるとは、a≡x2(modb)を満たす整数xが存在するときである。このとき
と表す。そうでないとき
と表し、aは法bの平方非剰余であるという。ガウスは次の3法則を証明した。ここにp、qは相異なる奇素数とする。
〔3〕の相互法則は整数論におけるきわめて重要な定理である。
(5)二元二次形式の研究の完成
ax2+bxy+cy2=d (a, b, c, dは整数)
の形の不定方程式について最終的、徹底的な研究がなされている。
ディリクレはガウスの『数論講究』を常時携帯し研究したといわれる。ディリクレの整数論上のおもな業績は解析的手法の導入である。たとえば、初項と公差が互いに素な等差数列中には素数となる項が無数にあることを主張する定理(算術級数定理)は彼によって証明された。その後、解析的整数論は発展を遂げて、1896年にはアダマールとド・ラ・バレ・プーサンCh. de la Vallée-Poussinによりガウスの予想した素数定理が複素関数論の深い結果を用いて証明された。
ガウスに始まる複素整数論はクンマーによるフェルマーの予想の研究によって飛躍を遂げ、現今の代数的整数論へと発展した。素因数分解の一意性が成り立たない場合があることを明確に意識していたクンマーは、円分体において理想数という概念を導入して一意性の回復をした。現今の用語では因子論とよばれる概念である理想数は、デーデキントによってイデアルという実体を与えられた。イデアルは集合論が意識的な形で数学に使用された最初ではないかと思われる。イデアル論とガロアの理論が結合して活躍の場を与えられた形の代数的整数論はヒルベルトによって整理され、高木貞治(たかぎていじ)の類体論へと道が開かれたのである。整数論はいままで述べたように代数的整数論、解析的整数論のほかに、幾何学的手法を用いる研究、不定方程式論固有の研究、また1960年代以降話題になりつつある数学基礎論による研究などがある。
不定方程式論におけるもっとも輝かしい成果の一つであるジーゲルの有限性定理を述べておく。f(x, y)を整数係数の多項式とし、
f(x, y)=0……〔1〕
から定まる曲線が二次曲線とは本質的に違っているものとする。厳密にいえば種数が正であるとする。このとき〔1〕は整数解を有限個しかもたない。この定理をジーゲルCarl Ludwig Siegel(1896―1981)は1929年に証明することに成功した。〔1〕の解の大きさをf(x)の係数から評価することは一般的にはまだ解決されていない問題であるが、ベーカーAlan Bakerは
y2=x3+ax+b
という形を含むいくつかの場合に解の限界を与えることに成功している。
一方、ヒルベルトは、不定方程式が解を有するかどうかを判定する一般的なアルゴリズムを求めよという問題(ヒルベルトの第10問題)を提起したが、マチャセビチYuri Matijasevicによれば、そういうアルゴリズムは存在しない(証明1970年)。これには帰納的関数の考えをはじめとする基礎論的手法が用いられており、数学界に大きな衝撃を与えた。この分野も一定の発展が期待されるであろう。
[足立恒雄]
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