クレレ(その他表記)August Leopold Crelle

改訂新版 世界大百科事典 「クレレ」の意味・わかりやすい解説

クレレ
August Leopold Crelle
生没年:1780-1855

ドイツの土木技師,数学者。土木技師としての実業教育を受け,プロイセン内務省に就職,1816-26年にプロイセン内の多くの道路を建設,また38年,ドイツ最初の鉄道ベルリン~ポツダム間)敷設にも従事した。大学教育は受けなかったものの青年時代から数学を研究,36歳でハイデルベルク大学から学位を得た。1828年,内務省から文部省に移籍し,フランスを手本としながらプロイセンの数学教育の充実に力を尽くした。かたわら,A.M.ルジャンドル,J.L.ラグランジュの基礎的数学文献をドイツ語訳し,数学の普及に貢献した。今日,クレレの名が著名なのは,19世紀ドイツの数学研究に拍車をかけた《純粋および応用数学雑誌》を創刊したことによる。彼はこの雑誌の初期の52巻(1826-56)を編集した。これは現在も刊行され続け《クレレのジャーナル》という別名で親しまれている。他方,29年には《建設雑誌》をも刊行し始め,51年まで30巻を編集した。これらの雑誌に才能ある青年学者たちの寄稿私心なく呼びかけ,N.H.アーベル,C.G.J.ヤコビ,シュタイナーJacob Steiner(1796-1863)らの才能を世に認知させる役割を果たした。フンボルトF.W.H.A.von Humboldt(1769-1859)と共同して,プロイセン改革期の科学振興に尽力し,ベルリン科学アカデミーほか,数多くの各国科学アカデミー会員に選出された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「クレレ」の意味・わかりやすい解説

クレレ
くれれ
August Leopold Crelle
(1780―1855)

ドイツの政治家。技術系の出身で、ドイツ最初の鉄道(ベルリン―ポツダム間)の建設に従事、1824年以降は精密科学の向上に意を用いた。1828年にはプロイセンの閣僚として活動するようになった。また専門の数学者ではないが、若干の数学の論文をまとめたほか、1826年に数学の公表誌として『純粋および応用数学の雑誌』を発刊、その創刊号には、アーベルの論文数編のほか、ヤコービ、シュタイナーの論文を発表し、第3号ではディリクレ、メビウス、プリュッカーの論文を載せるなどして、基礎科学としての数学の発展と普及に尽くした。

[小堀 憲]

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百科事典マイペディア 「クレレ」の意味・わかりやすい解説

クレレ

ドイツの技術者。ドイツ最初の鉄道を計画・実現,各種道路を設計。数学を愛好し,アーベル,シュタイナーらを援助,1826年《純粋・応用数学雑誌》(クレレ誌といわれる)を創刊,数学の発展に尽くした。

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