アグリッピナ(読み)あぐりっぴな(英語表記)Agrippina

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アグリッピナ」の意味・わかりやすい解説

アグリッピナ
あぐりっぴな
Agrippina

(1)大アグリッピナVipsania Agrippina (Agrippina major)(前14ころ―後33) 古代ローマの貴婦人アグリッパと、アウグストゥスの娘ユリアとの娘、2代皇帝ティベリウスの養子ゲルマニクスの妻。激しい気性と貞節さで知られ、夫とともに、その任地属州ゲルマニア、東方属州に赴き、夫の病没後その遺骨をもって東方から帰国。兵士たちと民衆への人気が義父ティベリウスに疑惑をおこさせ、夫の死後、皇帝と対立した。29年、皇帝の寵臣(ちょうしん)セヤヌスの陰謀もあり、パンダテリア島に流され、33年、食を断って自殺した。ゲルマニクスとの間に、3代皇帝ガイウスと、皇帝ネロの母小アグリッピナを含む、9人の子がある。

(2)小アグリッピナIulia (Julia) Agrippina (Agrippina minor)(15―59) ゲルマニクスと大アグリッピナとの娘。名門貴族のグナエウス・ドミティウス・アヘノバルブスと結婚し、後の皇帝ネロを産んだ。49年に叔父の皇帝クラウディウスと再婚、ネロを彼の養子にさせ、アグリッピナは50年アウグスタの称号を与えられた。54年に夫クラウディウスを毒殺し、ネロを皇帝としたが、即位後のネロと対立し、59年に彼の命により殺害された。

島田 誠]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アグリッピナ」の意味・わかりやすい解説

アグリッピナ(大)
アグリッピナ[だい]
Agrippina, Major

[生]前14頃
[没]後33.10.18. パンダテリア島
ローマ皇帝アウグスツス孫娘。 M.アグリッパとユリア (大) との娘。5年頃ゲルマニクス・カエサルと結婚し,14~16年ライン地方に,18年東方にいったが,翌 19年ゲルマニクスはアンチオキアで急死した。 19~29年ローマに住んだが,チベリウス帝に夫謀殺の嫌疑をかけて対立し,29年逮捕されてパンダテリア島に流され,そこで餓死した。彼女が生んだ息子次代の皇帝ガイウス・カエサル (カリグラ) ,娘にネロ帝の母アグリッピナ (小)がいる。

アグリッピナ(小)
アグリッピナ[しょう]
Agrippina, Minor

[生]15. アラ・ウビコルム
[没]59. パウリ
ローマ皇帝ネロの母。皇帝クラウディウス1世の妃。ゲルマニクス・カエサルとアグリッピナ (大) の娘。 28年グナエウス・ドミチウス・アヘノバルブスと結婚,ネロを生む。 39年兄のガイウス帝に対する陰謀のかどで追放されたが,41年ローマに帰り,49年叔父にあたるクラウディウス帝と結婚,連れ子のネロを養子にさせ,帝と前妃メッサリナとの娘オクタウィアと結婚させ,ついに 54年クラウディウスを毒殺してネロを帝位につけた。ネロの治世の初期には権力をふるったが,やがてネロと対立し,ネロの刺客によって殺された。

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367日誕生日大事典 「アグリッピナ」の解説

アグリッピナ

生年月日:15年11月6日
大アグリッピナの娘
59年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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