ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アグリッパ」の意味・わかりやすい解説
アグリッパ
Agrippa, Marcus Vipsanius
[没]前12.3. パンノニア
古代ローマの将軍,皇帝アウグスツスの腹心の部下。プレプス (平民) の出身でパトリキ (貴族) に嫌われたが,オクタウィアヌス (のちのアウグスツス) とともに政界に進出。前 43年おそらく護民官 (トリブヌス・プレビス ) に就任。前 40年ローマの警備長官となり,オクタウィアヌスと M.アントニウスの和議の立役者となった。前 39~38年アキタニアとライン地方を平定したが,凱旋祝賀を辞退。前 37年執政官 (コンスル ) 。前 36年セクツス・ポンペイウスをミレとナウロクスの海戦で破り,前 35~34年ダルマチア平定に偉功を立てた。前 33年建設長官としてローマの上下水道,浴場などの整備に莫大な私財を惜しみなく投入。前 31年アクチウムの海戦で艦隊を率いてアントニウス側を撃破,オクタウィアヌスの勝利を決定的なものにした。前 28~27年再び執政官。前 23年オクタウィアヌスの娘と再婚。前 17年帝国東部の皇帝総代理。前 15年ヘロデ大王の招きでユダヤにおもむき,ともに黒海沿岸のボスポロス王国を平定。前 13年総統大権 imperium majusを与えられたが,パンノニア遠征中,病を得て,前 12年死去。彼なくしてアウグスツスもなかったといわれている。
アグリッパ
Agrippa von Nettesheim
[没]1535.2.18. グルノーブル
ルネサンスのドイツ哲学者。本名 Heinrich Cornelius Agrippa。 1509年軍人から転じてドール大学でロイヒリンを講じて教会と対立,10年ロンドンに行き,15年パビア大学で講義。各地を転々としたのち 24年リヨンの宮廷医師となり,29年皇帝カルル5世の修史官。ロイヒリン,ルルスの秘術,新プラトン主義の神秘思想の影響下に書いた『秘密哲学』 De occulta philosophia (1510) では,世界を三界に分ち,それを統一する世界霊魂を説いて宇宙有機体説をとり,ルネサンス自然哲学に影響を与えた。ほかに放浪のはてに,近世懐疑論のさきがけをなす『学問の不確実と空虚』 De incertitudine et vanitate scientiarum et artium (27~28) を残している。
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