ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アッチラ」の意味・わかりやすい解説 アッチラAttila [生]406頃[没]453フン民族の王 (在位 434~453) 。 434年以降兄ブレダと共同統治を行なったが,445年頃にブレダを殺害してのちは単独支配者となった。南ロシアから中・南部ドイツにまたがる大領域を支配し,441~443年にはローマ帝国の東方国境を攻撃,いくつかの都市を破壊したのち和を結んだ。 447年再び東部ローマに侵入し,毎年の貢租を強いた。さらに 451年には西ゴート王国の征服を目指して進出,これに対して西ゴート王テオドリック1世は,ローマの将軍 F.アエチウスと同盟を締結して対戦したが,カタラウヌム平原で激戦の末,テオドリックは戦死,アッチラも退却した。翌 452年には,イタリアに侵入し,アクイレイア,パタウィウム (パドバ) ,メディオラヌム (ミラノ) などの諸都市を脅かしたが,ローマ教皇レオ1世に説得されて引返し,まもなく急死した。アッチラの王国は,勇猛な騎馬軍団による襲撃が生んだ心理的パニックに基づいていたので,その形成が急速であったのと同様に,崩壊も早かった。アッチラに関する伝承としては,東ローマからフン民族に派遣された使節の随員の一人である修辞学者プリスクスの残した記録が最も重要な史料であるが,アッチラの名は『ニーベルンゲンの歌』などの英雄叙事詩にエッツェル,アトリなどとして残っている。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報