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アブド・アッラフマーン[1世] ‘Abd al‐Rahmān I

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世界大百科事典 第2版の解説

アブド・アッラフマーン[1世]【‘Abd al‐Rahmān I】

731‐788
後ウマイヤ朝の創建者。在位756‐788年。祖父はウマイヤ朝第10代カリフヒシャーム。750年ウマイヤ朝の滅亡により北アフリカに逃れ,756年スペインに渡ってコルドバ後ウマイヤ朝を開き,ベルベル人の反乱やアッバース朝糸を引く反乱を鎮めて王朝の基礎を築いた。サラゴサの領有をめぐるカール大帝との戦いは,中世ヨーロッパの武勲詩《ローランの歌》にうたわれている。【花田 宇秋】

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All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

世界大百科事典内のアブド・アッラフマーン[1世]の言及

【ウマイヤ朝】より

…750年マルワーン2世が逃亡先の上エジプトで殺され,ウマイヤ朝は滅んだ。一族のアブド・アッラフマーン1世は,イベリア半島に渡り,756年コルドバで同朝を再興した(後ウマイヤ朝)。 ムハンマドを頂点とする部族連合的国家が空間的に拡大し,カリフを頂点とする地域連合体に転化したのがウマイヤ朝国家である。…

【後ウマイヤ朝】より

…756‐1031年。ウマイヤ朝第10代カリフ,ヒシャームの孫のアブド・アッラフマーン1世が,アッバース朝の追手を逃れて,756年総督ユースフを破り,コルドバでアミールを宣して以来,1031年の滅亡まで,24代(19人)の君主のうち16人までがウマイヤ家出身者であったので,日本では後ウマイヤ朝と通称される。アブド・アッラフマーン1世は,カリフではなくてアミールと自称したが,それは彼の王朝がまだアッバース朝と比肩できず,またイスラム国家は一つで,しかも1人のカリフによって治められなければならないという伝統を重んじたからである。…

【コルドバ】より

…711年にイベリアに侵攻したイスラム教徒は,軍事征服が一段落すると,アル・アンダルスと命名したこの新しい領国の首都にコルドバを選んだ。そして756年にはダマスクスを追われたウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン1世が亡命政権を立てたことから,西方イスラム世界の首都となった。 後ウマイヤ朝期(756‐1031)はアル・アンダルスの最盛期であり,コルドバは西ヨーロッパ随一の規模に発展した。…

【メスキータ】より

…スペイン南部,コルドバにあるモスクで,スペインのイスラム建築の傑作。アブド・アッラフマーン1世により758年に着工,3年後にヒシャーム1世が完成させた。〈オレンジの木の中庭〉(73m×36m)とその南側にあるアラブ・タイプの多柱式礼拝堂(柱間数は間口が11間,奥行きが12間で,規模は73m×38m)からなる長方形プランの石造建築で,砦のように厚く高い壁に囲まれ,サーマッラーの大モスクに次ぐ雄大な規模をもつ。…

※「アブド・アッラフマーン[1世]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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