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アルマニャック派 アルマニャックはArmagnacs

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アルマニャック派
アルマニャックは
Armagnacs

後期百年戦争中のフランスにおける,オルレアン公ルイアルマニャックベルナール7世とその女婿でルイの長男オルレアン公シャルル (シャルル・ドルレアン ) を中心とした南部貴族の党派。皇太子シャルル (のちのシャルル7世 ) を擁して,イングランドと結ぶブルゴーニュ派と争った。 1407年のブルゴーニュ派によるルイ暗殺以降その抗争は激しくなり,内乱となったが,35年アラスの和約で終結した。

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百科事典マイペディアの解説

アルマニャック派【アルマニャックは】

百年戦争後半期フランス国王シャルル6世の発狂(1392年)後,王族・貴族間で起こった政権争いの一党派。王弟オルレアン公ルイを党首としたが,その暗殺後アルマニャックArmagnac伯が首領となりブルゴーニュ派と抗争。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

アルマニャック派
あるまにゃっくは
Les Armagnacs

百年戦争中に形成されたフランス貴族の党派。アルマニャックArmagnacはピレネー山脈北麓(ほくろく)の一フランス領地名。15世紀初頭、フランス王家バロア家の家政は、王弟オルレアン侯ルイと、その従兄弟(いとこ)にあたるブルゴーニュ侯ジャンとの対立に左右されていた。1407年ジャンはルイを謀殺した。ジャンに敵対する諸侯は、ルイの息子シャルルの義父アルマニャック伯ベルナールを頭目として一党を結成し、ブルゴーニュ党派と対立した。1410年以降、事態は内乱に発展し、アザンクールの戦い(1415)のあと、アルマニャック派はジャンを謀殺し、廃嫡された王太子シャルル(後のシャルル7世)を擁してロアール河畔のブールジュに政府を構え、ブルゴーニュ侯家の主導のもとにイングランド王家と合体したバロア王家と対抗するに至った。[堀越孝一]

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世界大百科事典内のアルマニャック派の言及

【ブルゴーニュ公国】より

…すなわちそれはフランス王権であり,1435年,アルトアの主都アラスにおける国際会議がこの大いなる歴史のドラマの舞台となった。
[アルマニャック派とブルゴーニュ派]
 1410年代,フランスは内乱状態にあった。初代のフィリップ(大胆公)が1404年に死去したのち,王弟オルレアン公ルイが権勢を張り,第2代ブルゴーニュ公ジャンがこれを謀殺したことに端を発した,いわゆるアルマニャック派対ブルゴーニュ派の党派対立である。…

※「アルマニャック派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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