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アレクセイ1世 アレクセイいっせいAleksei I Mikhailovich Romanov

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アレクセイ1世
アレクセイいっせい
Aleksei I Mikhailovich Romanov

[生]1629.3.20. モスクワ
[没]1676.2.10. モスクワ
ロシアのツァーリ (在位 1645~76) 。ロマノフ朝の始祖ミハイル・ロマノフの子で,その没後,2代ツァーリに即位。初期に彼の養育係の貴族 B.I.モロゾフが国政の実権を握り,各種の新税を設けて国家財政再建をはかったが,この政策が都市,農村の下層民,商人,手工業者を圧迫し,モスクワに民衆反乱 (48.6.) が起り多数の都市に波及した。アレクセイはモロゾフを引退させ,翌 1649年1月,新法令集「ウロジェーニェ」を確立し,士族 (ドボリャニン ) ,商人,手工業者の要求を大幅に取入れ,貴族,聖職者の特権を制限した。このなかで,逃亡農民を捜索する士族の権利の時効制限を廃止し無期限なものとしたことは,ロシア農奴制成立史上,特に重要な立法である。 48年ポーランド地主の圧政に抵抗してウクライナ住民の反乱が起った際,これを助けてロシア=ポーランド戦争 (54~67) を起し,アンドルーソボ条約 (67) でスモレンスク,セーベル地方をはじめドニエプル川左岸のウクライナと右岸のキエフを獲得した。この戦争で都市,農村は疲弊し,62年モスクワの民衆反乱,次いで 70~71年ステンカ・ラージンの率いるドン・コサック下層民 (ゴルイチバ) ,逃亡農民の大農民戦争が勃発した。また,アレクセイ治世中,ロシア宗教史上最大の教会危機が起きた。モスクワ総主教ニコンは,アレクセイのポーランド遠征中,モスクワ宮廷で独裁権をふるっていたが,ロシア正教会の儀式,祈祷書をギリシア教会式に忠実に改訂しようと企て,54年の宗教会議で改革案を承認させた。しかし,一部の聖職者と民衆のこの改革に対する反発は強く,彼らは正統教会より離れて,のちに分離派 (ラスコール) と呼ばれるようになった。帰還後,帝は 66年のモスクワのギリシア正教会大会議で,ニコン罷免を決議させ,ロシア教会に対するツァーリの最高権が確認され,また国教からの分離派教徒の破門と弾圧が強められた。

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367日誕生日大事典の解説

アレクセイ1世

生年月日:1629年8月19日
ロシア皇帝(在位1645〜76)
1676年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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