日本大百科全書(ニッポニカ) 「ニコン」の意味・わかりやすい解説
ニコン(株)
にこん
高級カメラ、光学レンズの世界的メーカー。1917年(大正6)三菱(みつびし)合資の岩崎小弥太(こやた)らが、第一次世界大戦で輸入が途絶した光学機器の国内自給を目的に、東京計器製作所の光学部門と岩城硝子(いわきガラス)製造所の反射鏡部門を統合して日本光学工業を設立。第一次世界大戦後、ドイツなどから先進技術の吸収に努めながら、光学ガラスから双眼鏡、望遠鏡、顕微鏡に至る一貫生産体制を整備した。第二次世界大戦後、復興の柱とした写真レンズのニッコールと小型カメラのニコンが『ニューヨーク・タイムズ』紙に紹介されて世界的な評価を得、1959年(昭和34)に発売した一眼レフカメラ、ニコンFによって技術的地位を確立した。また眼鏡用レンズでも高い研摩技術による高品質製品を相次ぎ発売しているほか、半導体製造装置(ステッパー)など光エレクトロニクス分野にも力を入れている。1988年現社名に変更。1999年(平成11)持株会社へ移行することを視野に含めた社内カンパニー制を導入、同年測量機事業を分社化(ニコンジオテックス。現ニコン・トリンブル)。以後、2000年に眼鏡レンズ事業(ニコン・エシロール)、眼鏡事業(ニコンアイウェア。2008年事業終了)、2001年望遠鏡事業(ニコンビジョン)の分社化を行っている。資本金647億円(2008)、売上高9558億円(2008。連結ベース)、国内5工場。
[中村清司]
『50年史編集専門委員会編『50年の歩み――日本工学工業株式会社』(1967・日本光学工業)』▽『75年史編纂委員会編『光とミクロと共に――ニコン75年史』(1993・ニコン)』
ニコン
にこん
Никон/Nikon
(1605―1681)
中世ロシアの聖職者。俗名ニキタ・ミノフНикита Минов/Nikita Minov。ツァーリ、アレクセイの信頼を得て昇進し、1652年にモスクワの総主教に就任。南スラブ諸国で採用されていたギリシア正教会の模範に照らして、ロシア正教会の教書と儀式を正そうとする改革を企図し、アバクームなどの反対者を弾圧しながら、1654年の宗教会議で改革を承認させた。この改革は正教会の分裂をもたらし、これに承服しない反対派の聖職者、信徒は分離派または旧儀派とよばれ、以後のロシア社会に独特の集団をなした。俗権に対する教権の優位を主張して、ツァーリや宮廷勢力と対立し、1666~1667年の宗教会議で総主教職を追われた。
[原 暉之 2018年2月16日]