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アンクティル・デュペロン アンクティル・デュペロン Anquetil-Duperron (Abraham Hyacinthe)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アンクティル・デュペロン
アンクティル・デュペロン
Anquetil-Duperron (Abraham Hyacinthe)

[生]1731.12.7. パリ
[没]1805.1.17. パリ
フランスの東洋学者。 1754年,志願兵としてインドに渡る。アベスタフランス語訳 (1771) ,ウパニシャッドペルシア語訳である『ウプネカット』 Oupnek'hatラテン語訳 (1804) をなしとげた。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

アンクティル・デュペロン
あんくてぃるでゅぺろん
Abraham Hyacinthe Anquetil-Duperron
(1731―1805)

フランスの東洋学者。ゾロアスター教の聖典『ザンド(ゼンド)・アベスタ』とバラモン教の聖典で古代インド哲学の精髄を盛るウパニシャッドを初めて西洋に紹介した。ムガル帝国の皇子モハメッド・ダーラシャコーDara Shukoh(1615―1659)がベナレスワーラーナシ)のインド人学者の助力を得てサンスクリット語よりペルシア語に訳出した50のウパニシャッドを通常ウプネカットOupnek'hatと称するが、アンクティル・デュペロンは1775年末にこのウプネカットの1写本を手に入れ、それをラテン語に翻訳、1801~1802年に2巻としてパリで出版した。哲学者ショーペンハウアーがこのウプネカットを読んで感激したことは有名であるが、その影響を受けたドイッセンによって西欧のウパニシャッド研究が本格的に始まった。[原 實]

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