アンドロニコス
あんどろにこす
Andronīkos ho Rhodios
生没年不詳。紀元前70年ごろのアリストテレス学者。ロードス島出身。アリストテレスの学園リケイオンの11代学頭。当時一般向けにアリストテレスの初期の作品が流布していたが、リケイオン時代のアリストテレスの講義草稿を分類して、現存の全集の形で編集公刊した。またこれに注釈を書いたが、アリストテレスの作品を整理して、後世に残したことに意義がある。しかし逆に初期の作品は伝存しないことになった。「形而上(けいじじょう)学」metaphysicaという名は、その編集のおりの、「自然学の後に置かれたもの」ta meta ta physikaということばに由来するものとみられている。
[山本 巍 2015年1月20日]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のアンドロニコスの言及
【アリストテレス】より
…このリュケイオン校の学頭をつとめていた12年間は,研究・教育の両面で最も円熟した時期であったが,前323年アレクサンドロスがバビロンで急死すると,アテナイでは反マケドニアの機運が高まり,マケドニア側の人物と見られたアリストテレスは不敬神のかどで訴えられ,母の出身地のカルキスにのがれて翌年その地で病没した。
[著作]
今日〈アリストテレス著作集〉として伝わるものは,前1世紀,それまで世に埋もれていた彼の講義用論文を,ロドス島出身の学者アンドロニコスAndronikosが,アリストテレス自身の学問の区別(理論的,実践的,製作的)に基づいて主題別に編集したものがもとになっている。彼の哲学を完結した体系として扱う後世の研究態度はここに由来する。…
【形而上学】より
…哲学の諸分野,諸原理の最高の統一に関する理論的自覚体系。語源的には,アリストテレスの講義草稿をローマで編集したアンドロニコスが,《自然に関する諸講義案(タ・フュシカ)》すなわち[自然学]の後に(メタ),全体の標題のない草案を置き,《自然学の後に置かれた諸講義案(タ・メタ・タ・フュシカ)》と呼び,これがメタフュシカmetaphysicaと称されたことに基づく。内容的には,第二哲学としての自然学に原理上先立つ存在者の一般的規定を扱う第一哲学,自然的存在者の運動の起動者としての神を扱う神学を含む。…
【ペリパトス学派】より
…プラトンが遊歩しながら講義した習慣に由来する名で,本来[アカデメイア]出身のアリストテレスらを指したが,以後はもっぱらアリストテレス創立のリュケイオン校の人々を総称する呼名となった。2代目学頭テオフラストス,3代目ストラトンのもとでとくに自然学研究が継承・推進され,しだいに創立者の教説から遠ざかって即物的傾向を強めていくが,前70年ころの学頭アンドロニコスAndronikos以来アリストテレス研究も復活する。【藤沢 令夫】。…
※「アンドロニコス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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