翻訳|logic
論理についての科学。われわれは論理をごくおおまかに,人間の思考の筋道,あるいは思考の成果としての知識の構造と特徴づけることができる。
われわれがものを〈考える〉とき,われわれは思考に先立ち存立する世界を対象とし,そこにはかくかくの事態がなりたつという判断をくだす。次にわれわれは,この事実判断を基礎(前提)にして,ある事柄を推論する。一般に思考と称せられる人間の行為は,まさにこの推論の過程において現れるのである。推論によって得られた結果は,帰結とか結論と呼ばれ,それはふたたび世界に関する正しい認識を与えるものと評価される。そしてこのように,単純な判断から出発し,世界の事実についてのより複雑だが包括的な判断に終わる体系の全体が,知識と呼ばれるものにほかならない。その意味で,われわれは論理を一方で,人間の推論の法則と特徴づけることができると同時に,他方で,基礎的な判断とより複合的な判断とを結びつける法則と特徴づけることもできるのである。
だがこのように,推論とか知識といったきわめて普遍的な人間活動の法則性を問題にするとき,問題意識そのものが当の法則の内実をも規定してしまう。つまり特定の個人,例えば特別の勘や超能力をもつ人間による,特殊な世界の体験があったとしても,それはここでいう法則の網にはかからない。法則という以上,それは,だれが,いつ,どこで,いかなる知識を組織しようと,そのすべてに適用可能な形式でなければならない。いいかえると論理の妥当性は,知識に含まれる対象世界との具体的・偶然的なかかわりを徹底的に捨て去ったところになりたっている。その規定からして,論理学は本来,徹底して〈形式の学〉なのである。
ところで思考の筋道といっても,それをとりだす方法は,当の思考をどのような側面から眺めるかに応じ,さまざまに異なる。ものを考える,とは一面,動物としての人間の生理的な,あるいは心理的な過程であるのだから,例えば大脳の生理学的な研究や知覚や学習についての心理学的な研究が,思考の法則性を解明することは当然期待されよう。だが論理学の問題に対する態度は,生理学や心理学のそれとまったく異なる。論理学は,知識の表現である言語を,主題に接近する通路として選ぶ。ここに論理学の方法論上の大きな特徴がうかがえる。そこにはもちろん,人間の思考ないし知識に関する,伝統的とさえいえる論理学者の前提がある。すなわち,思考はもっぱら言語の形においてのみとらえられるということ,知識とは判断の体系的な集合にほかならぬということ,である。人間の思考を問題とするかぎり,思考の限界は同時に,言葉による表現の可能性の限界でもある。これは陰に陽に,すべての論理学者によって承認されてきた事実なのであった。
ところで,世界についての事実認識を基礎に置いて,これまた世界についての認識にいたる推論がある場合,われわれは前提と結論の関係に応じて推論を2種類に区別することができる。一つは,より個別的で単純な事例の集りから,より一般的な法則を導くところの,帰納的推論(帰納)と呼ばれるものである。〈人間はみな死ぬ〉〈太陽はいつでも東から昇る〉等はすべて,帰納的推論により得られた結論である。この推論の特徴は,その真理性の保証は,最終的に個々の経験に仰がざるをえない,という点である。帰納的推論に反し,ある一般的法則が与えられた場合,個別的な適用例をその法則の意味から導きだすような推論を演繹(えんえき)的推論(演繹)という。かりに〈人間はみな死ぬ〉という一般的法則が与えられた場合,われわれはこれと〈山本一郎は人間である〉という事実から,〈山本一郎は死ぬ〉という結論を演繹的推論によって導きだすことができる。この推論の特徴は,〈前提が正しければ結論も正しい〉ということの保証が,前提の言葉の意味(用法)だけから与えられる,という点である。
われわれは上の〈一般から個別へ〉という規定をもう少し拡張して,演繹的推論を理解することができる。すなわち,真な前提から真な結論を導く手続が,人間の個別的な経験によるのでなく,もっぱら前提に含まれる言葉の意味(用法)に従って遂行されるとき,われわれはその推論を演繹的と呼ぶことにする。例えばわれわれは,〈ソクラテス〉〈毒殺された哲学者〉が指示する経験的事態を知らずとも,もっぱら〈……は……である〉という言葉の用法に頼って,
〈ソクラテスは毒殺された哲学者である〉
という命題を前提とし,そこから,
〈毒殺された哲学者がいる〉
という結論を導くことができる。この意味で例えば数学の体系において,公理から定理を導きだす操作は典型的な演繹的推論である。
われわれの経験的な知識の獲得においては,この2種類の推論が交互に組み合わさって使われる。図式的にいうなら,われわれは個々の経験的事例を結合し,帰納的推論により,ある一般法則を導きだす。さらに複数個の一般法則を個別例とするような法則の体系--理論--を構築する。だがすでに,この理論から法則への関係,また理論から個別事例への関係は演繹的推論によって確立されるのである。一般法則はしかし,無限の事例への適用可能性をもつのに反し,その法則の正しさを保証すべき個別事例は有限個存在するにすぎない。それゆえ,帰納的推論はつねに蓋然的な結論しかもたらさない,といわれる。つまりいつも例外が存在する余地を残しているのである。これに対し演繹的推論は,前提が含む言葉の用法に従って結論を導くのであるから,新たな事実が付け加わることにより前提と結論の関係が変化することはない。この意味で演繹的推論は絶対的な妥当性を有している。
人間の自然認識の成立において,帰納的推論も演繹的推論も,車の両輪のごとくいずれも一方を欠きえないが,前者の形式的構造がどのようなものか,ほとんどわかっていないのが実情である。これに反し,演繹的推論は,その推論過程を表現している言語の構造分析を通じて,きわめて明確に解明されている。そして伝統的に論理,あるいはいささか冗語的に形式論理と呼びならわされてきたものは,もっぱら演繹的推論と関係するかぎりの知識の構造を示すことになっている。以下,主題をこの点に絞り,論理学の説明を行う。
論理は言葉の用法に頼る推論を範型とするというとき,この言葉は当然,広く事実に関する人間の知識を表現する言葉に限られる(したがって人間の意志や感情を表現する言葉は,対象から外される)。つまり思考の成果を表すところの,しかも原則として真偽を論じうる文(命題)の集合が,論理学の対象となるのである。だがその場合,個々の命題に盛りこまれる具体的な内容は捨象されるにせよ,それらの命題が一様になんらかの事実を語るというそのことは揺るがない。とにかくある事実を志向し,それを記述しようとする性質は,ここで問題となる言語の基本的な形式に属するのである。では言語をして事実を志向させるとは,言語をどのように整備することなのか。
簡単にいえば,それは,世界の事態を〈もの〉とその集り(集合)として表現するように言語を秩序づける,ということにほかならない。ただその場合の〈もの〉とは単に時間・空間的に規定される物にとどまらない。数1,2,……,〈真理〉〈虚偽〉といった抽象的存在,数個のものの組(例えば〈夫婦〉が指示する対象は,男1人と女1人の対を〈もの〉とみたてたうえで,その〈もの〉の集合と考えられる),個々の命題,さらには集合そのもの,これらはすべて〈もの〉の資格を得ることができる。そして,かような〈もの〉がある集合に属するという事態--〈もの〉のたたずまい--が世界の基本的あり方にほかならず,したがってそれに対するところの言語もまた,〈もの〉のたたずまいとその相互関係を記述できる機構をそなえなければならない,いな,そなえているはずだ,というのが現代論理学を支える世界観となっている。これを前提としたうえで,言語表現内部で遂行される演繹的推論の法則を探ることが,その課題となるのである。
だがその際,何を〈もの〉とその集合とみなすか,何を事態相互の関係とみなすか,という詳論になると,異なる立場があり異なる論理がとりだされる。それはなにも論理学の混乱を意味しない。対象をどこまで掘りさげればどのような論理が浮かびあがるのか,さらにその複数の論理体系の相関はなにかについては,論理学者の間で完全な合意がなりたつからである。例えば,集合に含まれる〈もの〉を顧慮しないで,集合相互の関係を考察する論理学は集合算と呼ばれる。アリストテレスが樹立した無様相三段論法の体系は,集合算のなかに吸収される。〈もの〉として命題だけを考え,命題が属する2種類の集合--真な命題の集合と偽な命題の集合--を考え,その間の関係を考察する論理学は命題論理学と呼ばれる。さらに,個体としての〈もの〉の一定の枠を想定し,その枠内で〈もの〉の組がつくる集合--これを述語という--を考え,これら個体と述語の結合を記述する命題の相互関係を考察する論理学は,(一階の)述語論理学と呼ばれる。また,考えうる最も一般的な集合の規定を主題とする論理学は,集合論と呼ばれる。そして命題論理学,述語論理学,集合論は,たがいに後のものが前のものを包括するという形で展開されるのである。
論理学の対象となる言語は,とにかく世界の記述という役割をはたすかぎり,みな同一の論理的構造をもつはずである。それゆえ,論理学を構築する手がかりとして日本語を選ぼうと,ギリシア語を選ぼうと,あるいは数学の言語を選ぼうと,結果はすべて同じことになる。そこで論理学者は,論理構造の最も読みとりやすい一種の人工言語を考案し,この人工言語の特性を調べる,という方法を採用する。もちろんそこでは,人間の知識がこの人工言語で完全に表現されるにちがいない,ということが前提されているのである。
→記号論理学
執筆者:坂井 秀寿
ヨーロッパ論理学の歴史は古代,中世,近世,近・現代に4分される。
(1)古代--古代論理学は前4世紀にアリストテレスが著した《オルガノン》で始まる。オルガノンとはすべての学問のための道具のことであり,実質的には論理学のことである。《オルガノン》の中心部分は三段論法であり,これは〈すべてのMはPであり,すべてのSはMであれば,すべてのSはPである〉といった種類の論理形式を扱うものであり,M,P,Sには〈人〉とか〈動物〉のような名辞が代入されることから,名辞論理学と呼ばれている。アリストテレスのこの名辞論理学はきわめて精巧なものであり,非の打ちどころのないものであるが,応用範囲は案外狭い。これに対し,名辞論理学よりもっと基本的で適用範囲の広い命題論理学は,アリストテレスとは別に,そしてアリストテレスよりもやや後,つまり前3世紀ごろにストア学派によってつくりあげられた。この論理学は〈第一命題が成立すれば,第二命題が成立する。しかるに第一命題が成立する。ゆえに第二命題が成立する〉といった種類の論理形式からなるものである。ストア学派のこの命題論理学は重要な論理学であるにもかかわらず,その後まもなくして忘却されてしまい,後世には影響を与えなかった。
(2)中世--中世論理学はキリスト教のスコラ学者がつくりあげたのでスコラ論理学ともいわれる。中世論理学は13世紀にペトルス・ヒスパヌスによって書かれた《論理学綱要》でいちおうの成立を遂げるが,その完成は14世紀にオッカム(オッカムのウィリアム)によって書かれた《論理学要論》を待って行われる。ここでは古代のアリストテレスの三段論法も吸収されてはいるが,古代ギリシアになかった種類の論理学,つまり推断(コンセクエンティアconsequentia)の論理学が含まれている。推断の理論とは〈選言的な肯定命題から,その命題の部分と矛盾的に対立する部分からなる連言的な否定命題への推断は妥当である〉といったたぐいの論理形式,つまり〈君は走っているかあるいは動いている。したがって“君は走りもせずそして動きもしていない”ということはない〉といった種類の論理形式からなる。こうした推断の理論は確かに命題論理学であるが,ストア学派の命題論理学とは独立に,新しくつくり出された命題論理学である。
中世論理学は古代論理学よりはるかに水準が高く,きわめてすぐれたものであったが,残念ながら近世に生じた反スコラ的・反中世的な思想運動によって排斥され,ほとんど忘却の淵へと落とされてしまった。そしてその真価の発見は20世紀をまたねばならなかったのである。ちなみに,アリストテレスの三段論法も,スコラの推断の理論も,学問的な討論や議論のために実地に使用されたのであり,特に中世の大学における論争はすべてそうした論理形式を使ってきわめて精密に遂行されたのである。
(3)近世--近世論理学は17世紀にA.アルノーとP.ニコルの両人によって書き上げられた《ポール・ロアイヤル論理学,別名思考の術》(1662)から始まるといってよい。この論理学はアリストテレスの三段論法を含み,さらにそれに付随して,古代末期の哲学者ボエティウスの手になる仮言的三段論法の焼直しをも含む。仮言的三段論法は確かに命題論理学であるが,この命題論理学は,中世の命題論理学にくらべると見劣りがする。こうしてポール・ロアイヤル論理学に始まる近世論理学は,中世論理学にくらべるとむしろ退歩しているといわねばならない。こうした近世論理学は,討論において使用されるというよりはむしろ思考のため,特に哲学的思考のために利用された。例えばドイツ観念論の哲学者たちの場合がそうである。しかし近世論理学を使用したがゆえに,ドイツ観念論をはじめとする近世哲学は,同時代の科学のめざましい進展ぶりにくらべて,見かけの派手さはとにかくとして,その実質においてたいした成果をあげなかった。なお,ヘーゲルの弁証法は,論理学とはまったく別のものであり,論理学の名に値しないというべきであろう。
(4)近・現代--近・現代論理学は記号論理学ともいわれる。記号論理学は早くも17世紀に,ライプニッツによってその口火がきられたが,実質上の成立は,イギリスの数学者兼論理学者であるG.ブールの著《論理学の数学的分析》(1847)においてである。ブールによる論理学の数学化・記号化の試みは,一方においてはブール代数という形でコンピューターの基礎理論にまで発展し,他方では記号論理学という形で現代最新の論理学にまで発展する。後者についていえば,ブール以後の発展にとりわけ寄与した仕事はドイツの論理学者G.フレーゲが1879年に出した《記号を使った論理学》であり,イギリスの論理学者B.A.W.ラッセルとA.N.ホワイトヘッドの両人が1910年に出した《プリンキピア・マテマティカ》全3巻の第1巻である。そこには命題論理学をはじめ,古代や中世にはなかった限量論理学や関係論理学も含まれており,たいそう豊かなものとなっている。そして記号論理学はラッセル以後も量質ともにその豊かさをつぎつぎと増していくのである。とはいえ,こうして出現した記号論理学はもはやかつての討論の術ではなく,ましてや思考の術でもなく,まさしく計算の術となったというべきであろう。
インドの論理学は西洋論理学とは無関係に独自につくりあげられた。論理学はインドではすべての学派に共通して正理(しようり)(ニヤーヤnyāya)と呼ばれるが,仏教徒の間では特に因明(いんみよう)(サンスクリットではhetu-vidyā)と呼ばれる。インド論理学は2世紀に,非仏教的学派である正理学派(ニヤーヤ学派)の手によって成立し,仏教徒もこの論理学を受け入れた。しかし5~6世紀になって仏教徒の論理学者ディグナーガ(陳那)がそれまでの論理学(古因明)に大改良を施し新因明を完成した。そしてその結果,インド論理学は,アリストテレス論理学とくらべてさほど見劣りのしないりっぱなものとなった。ディグナーガの論理学とは次のようなものである。
宗(結論)--かの山に火あり。
因(小前提)--かの山に煙あるがゆえに。
喩(大前提)--なんであれそのもののところに煙があれば,そのもののところに火がある。
こうした推論は外見上はアリストテレスの三段論法と似ているが,それとは本質的に異なり,現代の論理学でいえば,限量論理学に属するものである。
インドでは学問上の討論においてそうした論理学が実際に使用された。そして結論にあたる宗が最初に置かれるのも,そうした実践上の必要からきたものである。ディグナーガより1世紀ばかり後に,その孫弟子であるダルマキールティや非仏教的学派に属するウッディヨータカラが現れ,ディグナーガの論理学をさらに完璧なものにし,ここでインド論理学は完成する。
中国人の手になる最初の論理学書は《墨子》のうちの六つの章〈経上〉〈経下〉〈経説上〉〈経説下〉〈大取〉〈小取〉である。《墨子》は前5世紀に,墨子およびその集団によって書かれたものであり,全部で71章からなるが,そのうちの6章が論理学を扱った部分である。《墨子》の論理学は詭弁を排する真面目な論理学であり,必要命題を〈小故〉,必要かつ十分条件を〈大故〉と呼んだり,〈二つの主張が同時にはなりたたないならば,二つのうちのどちらかがなりたたない〉という定理を主張したりするといった命題論理学の初歩的要素や,名辞論理学の初歩的要素を含んでいる。続いて白馬非馬論で有名な公孫竜などの名家や,《荀子》正名篇,《韓非子》が広い意味での論理学上の貢献をなしている。しかし残念ながら中国人はその後の2500年にわたって論理学をそれ以上には発展させなかった。
7世紀に,インドの論理学者ディグナーガやシャンカラスバーミンŚaṅkarasvāmin(商羯羅主(しようからしゆ))の著書が玄奘や義浄の手で漢訳された。《因明正理門論》や《因明入正(につしよう)理論》がそれである。こうした因明論理学は,中国人の手でよく研究され,また議論の際に実際に利用されもした。なお17世紀にイエズス会士によって漢訳出版された《名理探》は,三段論法の部分を含まぬものであり,ヨーロッパ論理学の紹介としては不完全といわねばならない。この書は中国にたいした影響を与えることはなかった。
日本人の独創になる論理学は存在しない。ただし,因明論理学は,玄奘が漢訳してからまもなく日本からの留学僧によって輸入された。そして奈良仏教での重要な研究学科となった。因明の研究はその後日本では連綿と続けられ,多くの注釈書がつくられた。江戸中期のすぐれた学僧である鳳潭の著《因明入正理論疏瑞源記》はそうした注釈の一つとして有名である。因明論理学は,単なる理論としてでなく,奈良時代から論議のために実用としても利用されてきた。論議とはお経の文章の解釈をめぐって問答形式により議論をたたかわすことであって,宮中で行われたり,法要の際に行われたりした。しかし時代が下るにつれて形式化し,できあいの問答文を暗記しておいてそれを演ずるだけといった,単なる儀式に堕してしまった。
因明論理学とは別に,ヨーロッパの論理学も16世紀のキリスト教布教とともに日本にもたらされた。日本には当時,各地にセミナリヨ(神学校)や,それより上級のコレジヨ(学林)が開設され,そうした学校で〈ロジカ(論理学)〉も教えられたが,その詳細は不明である。またそうした〈ロジカ〉なるものが鎖国後の日本に存続したという証拠も見つかっていない。ヨーロッパ論理学の本格的な輸入は明治初年に始まるが,最初に論理学の入門書を書いたのは西周(にしあまね)であり,logicという語に対して〈論理学〉という訳語をつくったのも彼が最初である。
執筆者:山下 正男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
論証、ならびに論証の組合せとしての理論の構造を研究する学問のこと。東洋では、紀元前4世紀ごろからインドで論証の形式の分類が始まり、とくに仏教がおこってから詳しい論理学の研究が行われるようになったといわれる。これは日本にも伝えられて「因明(いんみょう)」の名で知られているが、現代の論理学とは直接のつながりはない。
西洋では、古代ギリシアですでにかなり進んだ論理学の研究が行われており、その結果をアリストテレスが集大成し、自分の創見を付け加えて体系化したものが、論理学の最古の文献として伝えられている。このアリストテレスの論理学が中世のスコラ哲学を経ていささか形を変え、近世の初めに一つのカリキュラムとして定着したのが、伝統的論理学であり、日本では、40年ほど前までは、もっぱらこの伝統的論理学が教えられていた。19世紀後半になって、数学の論証などを分析できるように論理学を修正しようという動きが(主としてヨーロッパで)おこり、これに、集合論を先頭にする、数学の公理主義的な再編成の潮流が付け加わって、論理学は革命的といえるほどの変化を遂げた。この大変化後の論理学を、現代論理学(別名、記号論理学、また数理論理学)という。
つい先ごろまでは、この変化の意義を強調するために、二つの論理学を対立させて語る解説の仕方がはやっていたが、現在になってみれば、むしろ、両者の連続性に注目したほうが適切であると思う。現代論理学は、伝統的論理学を否定したものというよりは、伝統的論理学の成果のなかで現代的な意味のあるものはこれを吸収発展させたうえで、新しい見地と方法とを付け加えることにより成り立ったものだからである。したがって、以下では、まず伝統的論理学について紹介し、ついで、その発展したものとしての現代論理学について解説することとする。なお、ときどき、論理学のことを「正しい思考をするための規則を研究する学問」と定義してある本を見受けるが、この定義は間違っている。論証を得るためには思考が必要ではあるが、この思考はかならずしも論証のパターンに従って行われるものではない。しかし、論理学が研究対象とするのは、論証や理論であって思考そのものではないのである。思考について研究するのは、心理学の任務である。
[吉田夏彦]
論証は、命題を積み重ねることによって表現されるが、伝統的論理学では、論証の基本単位になる命題のことを「判断」という。
そうして、「SはPである」という形式の判断をもっとも典型的な判断と考え、これを「定言判断」という。たとえば、「人間は動物である/ソクラテスは人間である」のような判断であり、Sのところにくる表現を「主辞」(主概念)、Pのところにくる表現を「賓辞(ひんじ)」(賓概念)、「である」や、これと同じ意味の表現を「繋辞(けいじ)」といい、主辞や賓辞になりうる表現(だいたい、名詞または名詞句)を「概念」という。「人間」「動物」などは概念である。一つの概念の当てはまる事物の全体を、この概念の外延という。各個人は、「人間」の外延のなかに入るわけである。定言判断は、一つの概念Sの外延が、もう一つの概念Pの外延に包まれることを問題にしている判断とみることができる。すべての人間は動物であるが、すべての人間が男性であるわけではない。この区別を表すために、「すべてのSはPである」という形式の判断を「全称肯定判断」、「SのなかにはPであるものもある」という形式の判断を「特称肯定判断」とよぶ。否定形を使った、「すべてのSはPではない/SのなかにはPではないものもある」の形式がそれぞれ当てはまる判断のことを、「全称否定判断」「特称否定判断」という。
さて、論証のなかには、数個の前提から結論が直接出てくることを示す、きわめて短い論証がある。このような論証を「推論」という。伝統的論理学では、2個の前提と1個の結論とからなる推論の形式を主として研究し、これを「三段論法」とよんだ。なかでも典型的なのは「定言三段論法」であって、これは次のようなものである。定言判断である結論の主辞となる概念S(「大概念」とよぶ)、賓辞となる概念P(「小概念」とよぶ)、および「媒概念」とよぶ概念Mとがあり、前提にはMのほかにSがあらわれる「大前提」と、MのほかにPがあらわれる「小前提」とがある。たとえば、「すべてのSはMである/すべてのMはPである/だからすべてのSはPである」や、「SのなかにはMではないものもある/すべてのPはMである/だからSのなかにはPであるものもある」は、定言三段論法の形式であるが、このうち前者は、S、P、Mにどんな概念を代入しても正しい論証が得られる形式、すなわち「正しい三段論法の形式」であり、後者はそうではない形式、すなわち「正しくない三段論法の形式」である。全称、特称、肯定、否定の区別を考えると256個の定言三段論法の形式が考えられるが、このなかから正しい形式を抜き出すことが、伝統的論理学の主要な任務だった。
判断には、定言判断のほか、二つの判断AとBとからなる「AかBかである」という形式の「選言判断」、「AならばBである」という形式の「仮言判断」もある。このような判断の登場する「選言三段論法」や「仮言三段論法」も考えられる。たとえば、「AかBかである/Bではない/だからAだ」とか、「AならBである/Bではない/だからAではない」とかいった形式のものである。両種の判断がともに登場する「ディレンマ」というものも考えられた。たとえば、「AならCであり、BならCである/AかBかである/だからCである」といった形式のものである。
伝統的論理学では、論証としては、こういった三段論法の積み重ねに分析できる形式のものだけを考えた。それでも、哲学、法学、神学、分類記載に重きを置く生物学のような、中世までに栄えた学問の論証を研究するのには十分だと考えられていたのである。しかし、たとえば、「点a、b、cは、一直線上にある」といった命題を定言判断として、a、b、cのいずれかを主辞とする形に書き直してみようとすると、たいへん不自然である。そこで、19世紀後半になり、一般に、n個のものの間に一つの関係が成り立つことを主張する形の命題を基本命題とする形に、論理学を拡張しようとする動きがおきた。いまの例は、「一直線上にある」という三者関係を「P3」と書いて、P3(a,b,c)という形式であらわせる。また、「人間は動物である」は、「『人間』の外延が『動物』の外延に含まれる」という二者関係を「P2」と書いて、P2(人間,動物)と書くことができる。
[吉田夏彦]
「記号論理学」ということばが現代論理学の別名として使われるのは、記号を盛んに使うからである。まず、一つの命題Aからその否定命題をつくるには、その命題Aの前に「否定記号」「¬」を置いて、¬(A)と書く。二つの命題AとBとの「連言」、「AでB」をつくるのには、「連言記号」「∧」を用いて、(A)∧(B)と書く。「選言記号」「∨」や、「仮言記号」「⊃」の使い方は、
(A)∨(B):¬((¬(A))∧(¬(B)))
(A)⊃(B):(¬(A))∨(B)
と定義する。すると、これらの記号を使って、選言三段論法、仮言三段論法、ディレンマなどの形式をあらわすことができる。次に、3+6=9という、意味の決まった文から、文字x、yを使って、x+6=yという表現をつくることを考えてみよう。この表現は、xやyに代入されるものいかんによって正しい文になったり、正しくない文になったりする意味の不定なものであって、「開いた文」という。また、こういう使い方をする文字、x、yなどのことを「変項」という。そうして、x+6=9は開いた文だが、「少なくとも一つのxについてx+6=9」は正しい文になる。「少なくとも一つのxについて」を、「存在記号」「∃」を使って、∃x( )と書く。そこでいまの文は、∃x(x+6=9)となる。「y」や「x」などと「∃」とを並べて使うときの使い方も同様である。「全称記号」とよばれる「∀」の使い方は、∀x( ):¬(∃x(¬( )))で定義する。たとえば、∀x(∃y(x+y=0))は、「すべてのxについてそれに足せば0になるyがある」の意味をあらわす文である。「aは集合bの元(げん)である」という関係を「帰属記号」「∈」を使って、a∈bであらわすことにすれば、定言三段論法に登場する判断の形式は、変項、∈、否定記号、連言記号、全称記号、存在記号を使ってあらわすことができる。たとえば、「SのなかにはPではないものもある」は、∃x((x∈S)∧(¬(x∈P)))と書くことができる。しかしそれだけではなく、いくつかの定義を重ねることにより、一般にn者関係、Pn(x1,…,xn)を、いま述べた記号だけで書き表すことができるのである。これは、数学の諸概念が、集合の概念を用いて定義されるということと密接な関係のある事柄であり、いまその細部に立ち入って述べることはできないが、19世紀末から20世紀前半にかけて確かめられた、きわめて興味深い事実である。さらに、以上の記号を用いて、推論の形式を書き表すことができる。そのなかで、正しい論証を組み立てるのに必要十分なものの数もわかっている。伝統的論理学の三段論法は、これらの形式のなかに吸収されるが、現代論理学の取り扱う推論は、三段論法では尽くせない、広い範囲を覆うものである。このような道具立てで、論証の構造や、論証の組合せによって理論が組織される仕方を研究する分野を「述語論理」という。理論は、基本前提としての公理をたて、それから諸結果を演繹(えんえき)する形での、公理論に組織されているものを考える。なお、「次のことは可能である」「次のことは必然的である」などの、いわゆる様相をあらわす記号を導入することにより、述語論理を拡張しようとする「様相論理学」の試みもあるが、数学や科学に登場してくる論証を研究するためには、普通の述語論理で十分である。否定記号、連言記号、選言記号、仮言記号だけを用いてその形式があらわされる推論や、こういう推論だけを用いて組み立てられる論証に研究の範囲を限った分野のことを、「命題論理」という。
また、論証とは逆に、個別命題から出発して、その前提となることができる一般的な命題を探す手続を「帰納」という。科学で法則をたてるときには帰納を行っているわけである。帰納についても述語論理のような整然とした体系をたてようとする企てが、古来、幾人もの学者によって試みられたが、いままでのところ、成功した例はない。わずかに、統計学の分野で、ある範囲の帰納が定式化されている。とにかく、このような企てが成功したら得られるであろうところの体系を「帰納論理学」という。
[吉田夏彦]
インドの論理学は、祭式規定に関する聖典解釈学であるミーマーンサー(討究)の手段として出発し、普通は、「導く」という動詞から派生した「ニヤーヤ」(漢訳語で正理(しょうり))がそれを表す語として用いられるが、論理的吟味を表す「タルカ」という語が用いられることもある。ニヤーヤは、やがて聖典解釈学の枠から離れていき、正統バラモン主義の学問の一つとして独立の道を歩んだ。たとえば、カウティリヤの『実利論』(『アルタ・シャーストラ』)では、王の学ぶべき学問として、ベーダ聖典学、経済学、政治学と並べられている。こうして、紀元前後には、学問体系としていちおうの確立をみ、ニヤーヤ学派が誕生することとなった。この学派は、聖仙ガウタマを開祖とし、そのガウタマが著したと伝えられる『ニヤーヤ・スートラ』(現形のものは、紀元後2世紀前後から4世紀にかけて編纂(へんさん)されたもの)を所依(しょえ)の論典とした。この論典によれば、ニヤーヤが考察する対象は、知識手段、知識対象、疑惑、動機、実例、定説、論証肢、仮定を用いた吟味、決定、論議、論争、論詰、似非(えせ)理由、詭弁(きべん)、誤った非難、論議の決着の場面、以上の16項目であるとされる。これらの項目からもわかるように、ニヤーヤは、当初、論理学というよりも、実際に論議・論争を行う際のテクニックをも含む、広い意味での論証の学であったといえる。ただ、『ニヤーヤ・スートラ』に対するバーツヤーヤナ(4世紀)の注釈書『ニヤーヤ・バーシヤ』の序文によれば、他人のために推理を開陳する、五つの論証肢(主張、理由、喩例(ゆれい)、適用、結論)を用いた推論には、すべての知識手段(直接知、推理、類比、言語)が駆使されているので、この推論こそが「最高のニヤーヤ」であるとされる。たとえば、「(主張)音声は無常である。(理由)つくられたものであることのゆえに。(喩例)およそつくられたものは無常である。たとえば水甕(みずがめ)のごとし。(適用)これもまたしかり。(結論)ゆえにしかり。」という推論がそれにあたる。やがて議論は、この推論における理由の当・不当、そしてまた、喩例で示される、「つくられたものであること」と「無常であること」との二つの属性の間の遍充関係の確定、その理由と遍充関係と「音声」なる基体との関係について精緻(せいち)に行われるようになった。この議論の精緻化には、仏教論理学との論争が深くかかわっている。仏教論理学は、古くはアビダルマという教学研究のなかで鍛えられ、通常はヘートゥ・ビディヤーと称せられる。これは理由についての学問という意味で、漢訳語では「因明(いんみょう)」とされ、「医方明」などと並ぶ五明(ごみょう)の一つとされ、学僧の必須(ひっす)科目とされた。因明は、『倶舎論(くしゃろん)』の著者世親(せしん)(バスバンドゥ)などによって推進されていったが、5世紀に陳那(じんな)(ディグナーガ)が『プラマーナ・サムッチャヤ』(知識手段集成)などを著すに至って面目を一新し、理由(因)を緻密に分析し、推論を展開するには三つの論証肢だけで十分であることを論証した。あまりにも画期的な業績であったため、陳那以降の因明は新因明、それよりも前の因明は古因明とよばれた。陣那以降、仏教には、ダルマキールティ(法称(ほっしょう))などの優秀な論理学者が輩出したため、ニヤーヤ学派は、バーチャスパティミシュラ、ウダヤナが防戦に努め、また、同じ正統バラモン教の一学派であるミーマーンサー学派のクマーリラもこの論争に加わり、三者三つどもえの論戦の火花を散らした。この論戦にあたって、ニヤーヤ学派は、しだいに本来の所依の論典である『ニヤーヤ・スートラ』から離れ、姉妹学派であるバイシェーシカ学派の基体と属性の分析、関係論を基本とするようになった。13(14?)世紀にガンゲーシャが『タットバ・チンターマニ』(真理の如意宝珠(にょいほうじゅ))という大著を著してからは、この傾向は決定的なものになり、そのため、ガンゲーシャ以降は、学派名もナビヤ(新)・ニヤーヤ派とよばれるようになり、学匠たちはもっぱらガンゲーシャの著作の研究に励むこととなり、現在に至っている。
[宮元啓一]
『吉田夏彦著『論理と哲学の世界』(1977・新潮社)』
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…《わが不幸の物語》がこれを語り,2人の間の往復書簡もある。《論理学》ではギヨームに見られる極端な実念論を排し,普遍的なものは精神の外ではなく内に,概念としてのみあるとした。これは実念論と唯名論のいわば中間のもので,のちに概念論conceptualismの名で呼ばれる。…
…1536年苦学して学んだパリ大学文学士資格試験に〈アリストテレスの言説はすべてこれ虚妄にほかならず〉という挑発的提題を掲げ,反論をすべて論破して二,三の学寮の教壇に立った。1543年相次いで発表した《論理学要綱》と《アリストテレス批判》,とくに後者はアリストテレスを詭弁家ときめつけ,真理探求に絶対の権威はありえないことを雄弁に論じている。学界の権威に対するこの挑戦のために,彼は一時教壇を追われたが,支持者もまた少なからず,51年王立教授団(コレージュ・ド・フランスの前身)の一員に任じられて哲学と修辞学を講じ,アベラール以来といわれる多数の聴講者を引きつけた。…
…文法や論理学の用語。その概略については,日本ではすでに小学校の国語教育で〈何が(は)どうする〉〈何が(は)どんなだ〉〈何が(は)何だ〉の〈何が(は)〉に当たるものを主語,〈どうする〉〈どんなだ〉〈何だ〉に当たるものを述語という,と教授するほどで,一般にも周知の用語である。…
※「論理学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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