精選版 日本国語大辞典 「論理学」の意味・読み・例文・類語
ろんり‐がく【論理学】
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論証、ならびに論証の組合せとしての理論の構造を研究する学問のこと。東洋では、紀元前4世紀ごろからインドで論証の形式の分類が始まり、とくに仏教がおこってから詳しい論理学の研究が行われるようになったといわれる。これは日本にも伝えられて「因明(いんみょう)」の名で知られているが、現代の論理学とは直接のつながりはない。
西洋では、古代ギリシアですでにかなり進んだ論理学の研究が行われており、その結果をアリストテレスが集大成し、自分の創見を付け加えて体系化したものが、論理学の最古の文献として伝えられている。このアリストテレスの論理学が中世のスコラ哲学を経ていささか形を変え、近世の初めに一つのカリキュラムとして定着したのが、伝統的論理学であり、日本では、40年ほど前までは、もっぱらこの伝統的論理学が教えられていた。19世紀後半になって、数学の論証などを分析できるように論理学を修正しようという動きが(主としてヨーロッパで)おこり、これに、集合論を先頭にする、数学の公理主義的な再編成の潮流が付け加わって、論理学は革命的といえるほどの変化を遂げた。この大変化後の論理学を、現代論理学(別名、記号論理学、また数理論理学)という。
つい先ごろまでは、この変化の意義を強調するために、二つの論理学を対立させて語る解説の仕方がはやっていたが、現在になってみれば、むしろ、両者の連続性に注目したほうが適切であると思う。現代論理学は、伝統的論理学を否定したものというよりは、伝統的論理学の成果のなかで現代的な意味のあるものはこれを吸収発展させたうえで、新しい見地と方法とを付け加えることにより成り立ったものだからである。したがって、以下では、まず伝統的論理学について紹介し、ついで、その発展したものとしての現代論理学について解説することとする。なお、ときどき、論理学のことを「正しい思考をするための規則を研究する学問」と定義してある本を見受けるが、この定義は間違っている。論証を得るためには思考が必要ではあるが、この思考はかならずしも論証のパターンに従って行われるものではない。しかし、論理学が研究対象とするのは、論証や理論であって思考そのものではないのである。思考について研究するのは、心理学の任務である。
[吉田夏彦]
論証は、命題を積み重ねることによって表現されるが、伝統的論理学では、論証の基本単位になる命題のことを「判断」という。
そうして、「SはPである」という形式の判断をもっとも典型的な判断と考え、これを「定言判断」という。たとえば、「人間は動物である/ソクラテスは人間である」のような判断であり、Sのところにくる表現を「主辞」(主概念)、Pのところにくる表現を「賓辞(ひんじ)」(賓概念)、「である」や、これと同じ意味の表現を「繋辞(けいじ)」といい、主辞や賓辞になりうる表現(だいたい、名詞または名詞句)を「概念」という。「人間」「動物」などは概念である。一つの概念の当てはまる事物の全体を、この概念の外延という。各個人は、「人間」の外延のなかに入るわけである。定言判断は、一つの概念Sの外延が、もう一つの概念Pの外延に包まれることを問題にしている判断とみることができる。すべての人間は動物であるが、すべての人間が男性であるわけではない。この区別を表すために、「すべてのSはPである」という形式の判断を「全称肯定判断」、「SのなかにはPであるものもある」という形式の判断を「特称肯定判断」とよぶ。否定形を使った、「すべてのSはPではない/SのなかにはPではないものもある」の形式がそれぞれ当てはまる判断のことを、「全称否定判断」「特称否定判断」という。
さて、論証のなかには、数個の前提から結論が直接出てくることを示す、きわめて短い論証がある。このような論証を「推論」という。伝統的論理学では、2個の前提と1個の結論とからなる推論の形式を主として研究し、これを「三段論法」とよんだ。なかでも典型的なのは「定言三段論法」であって、これは次のようなものである。定言判断である結論の主辞となる概念S(「大概念」とよぶ)、賓辞となる概念P(「小概念」とよぶ)、および「媒概念」とよぶ概念Mとがあり、前提にはMのほかにSがあらわれる「大前提」と、MのほかにPがあらわれる「小前提」とがある。たとえば、「すべてのSはMである/すべてのMはPである/だからすべてのSはPである」や、「SのなかにはMではないものもある/すべてのPはMである/だからSのなかにはPであるものもある」は、定言三段論法の形式であるが、このうち前者は、S、P、Mにどんな概念を代入しても正しい論証が得られる形式、すなわち「正しい三段論法の形式」であり、後者はそうではない形式、すなわち「正しくない三段論法の形式」である。全称、特称、肯定、否定の区別を考えると256個の定言三段論法の形式が考えられるが、このなかから正しい形式を抜き出すことが、伝統的論理学の主要な任務だった。
判断には、定言判断のほか、二つの判断AとBとからなる「AかBかである」という形式の「選言判断」、「AならばBである」という形式の「仮言判断」もある。このような判断の登場する「選言三段論法」や「仮言三段論法」も考えられる。たとえば、「AかBかである/Bではない/だからAだ」とか、「AならBである/Bではない/だからAではない」とかいった形式のものである。両種の判断がともに登場する「ディレンマ」というものも考えられた。たとえば、「AならCであり、BならCである/AかBかである/だからCである」といった形式のものである。
伝統的論理学では、論証としては、こういった三段論法の積み重ねに分析できる形式のものだけを考えた。それでも、哲学、法学、神学、分類記載に重きを置く生物学のような、中世までに栄えた学問の論証を研究するのには十分だと考えられていたのである。しかし、たとえば、「点a、b、cは、一直線上にある」といった命題を定言判断として、a、b、cのいずれかを主辞とする形に書き直してみようとすると、たいへん不自然である。そこで、19世紀後半になり、一般に、n個のものの間に一つの関係が成り立つことを主張する形の命題を基本命題とする形に、論理学を拡張しようとする動きがおきた。いまの例は、「一直線上にある」という三者関係を「P3」と書いて、P3(a,b,c)という形式であらわせる。また、「人間は動物である」は、「『人間』の外延が『動物』の外延に含まれる」という二者関係を「P2」と書いて、P2(人間,動物)と書くことができる。
[吉田夏彦]
「記号論理学」ということばが現代論理学の別名として使われるのは、記号を盛んに使うからである。まず、一つの命題Aからその否定命題をつくるには、その命題Aの前に「否定記号」「¬」を置いて、¬(A)と書く。二つの命題AとBとの「連言」、「AでB」をつくるのには、「連言記号」「∧」を用いて、(A)∧(B)と書く。「選言記号」「∨」や、「仮言記号」「⊃」の使い方は、
(A)∨(B):¬((¬(A))∧(¬(B)))
(A)⊃(B):(¬(A))∨(B)
と定義する。すると、これらの記号を使って、選言三段論法、仮言三段論法、ディレンマなどの形式をあらわすことができる。次に、3+6=9という、意味の決まった文から、文字x、yを使って、x+6=yという表現をつくることを考えてみよう。この表現は、xやyに代入されるものいかんによって正しい文になったり、正しくない文になったりする意味の不定なものであって、「開いた文」という。また、こういう使い方をする文字、x、yなどのことを「変項」という。そうして、x+6=9は開いた文だが、「少なくとも一つのxについてx+6=9」は正しい文になる。「少なくとも一つのxについて」を、「存在記号」「∃」を使って、∃x( )と書く。そこでいまの文は、∃x(x+6=9)となる。「y」や「x」などと「∃」とを並べて使うときの使い方も同様である。「全称記号」とよばれる「∀」の使い方は、∀x( ):¬(∃x(¬( )))で定義する。たとえば、∀x(∃y(x+y=0))は、「すべてのxについてそれに足せば0になるyがある」の意味をあらわす文である。「aは集合bの元(げん)である」という関係を「帰属記号」「∈」を使って、a∈bであらわすことにすれば、定言三段論法に登場する判断の形式は、変項、∈、否定記号、連言記号、全称記号、存在記号を使ってあらわすことができる。たとえば、「SのなかにはPではないものもある」は、∃x((x∈S)∧(¬(x∈P)))と書くことができる。しかしそれだけではなく、いくつかの定義を重ねることにより、一般にn者関係、Pn(x1,…,xn)を、いま述べた記号だけで書き表すことができるのである。これは、数学の諸概念が、集合の概念を用いて定義されるということと密接な関係のある事柄であり、いまその細部に立ち入って述べることはできないが、19世紀末から20世紀前半にかけて確かめられた、きわめて興味深い事実である。さらに、以上の記号を用いて、推論の形式を書き表すことができる。そのなかで、正しい論証を組み立てるのに必要十分なものの数もわかっている。伝統的論理学の三段論法は、これらの形式のなかに吸収されるが、現代論理学の取り扱う推論は、三段論法では尽くせない、広い範囲を覆うものである。このような道具立てで、論証の構造や、論証の組合せによって理論が組織される仕方を研究する分野を「述語論理」という。理論は、基本前提としての公理をたて、それから諸結果を演繹(えんえき)する形での、公理論に組織されているものを考える。なお、「次のことは可能である」「次のことは必然的である」などの、いわゆる様相をあらわす記号を導入することにより、述語論理を拡張しようとする「様相論理学」の試みもあるが、数学や科学に登場してくる論証を研究するためには、普通の述語論理で十分である。否定記号、連言記号、選言記号、仮言記号だけを用いてその形式があらわされる推論や、こういう推論だけを用いて組み立てられる論証に研究の範囲を限った分野のことを、「命題論理」という。
また、論証とは逆に、個別命題から出発して、その前提となることができる一般的な命題を探す手続を「帰納」という。科学で法則をたてるときには帰納を行っているわけである。帰納についても述語論理のような整然とした体系をたてようとする企てが、古来、幾人もの学者によって試みられたが、いままでのところ、成功した例はない。わずかに、統計学の分野で、ある範囲の帰納が定式化されている。とにかく、このような企てが成功したら得られるであろうところの体系を「帰納論理学」という。
[吉田夏彦]
インドの論理学は、祭式規定に関する聖典解釈学であるミーマーンサー(討究)の手段として出発し、普通は、「導く」という動詞から派生した「ニヤーヤ」(漢訳語で正理(しょうり))がそれを表す語として用いられるが、論理的吟味を表す「タルカ」という語が用いられることもある。ニヤーヤは、やがて聖典解釈学の枠から離れていき、正統バラモン主義の学問の一つとして独立の道を歩んだ。たとえば、カウティリヤの『実利論』(『アルタ・シャーストラ』)では、王の学ぶべき学問として、ベーダ聖典学、経済学、政治学と並べられている。こうして、紀元前後には、学問体系としていちおうの確立をみ、ニヤーヤ学派が誕生することとなった。この学派は、聖仙ガウタマを開祖とし、そのガウタマが著したと伝えられる『ニヤーヤ・スートラ』(現形のものは、紀元後2世紀前後から4世紀にかけて編纂(へんさん)されたもの)を所依(しょえ)の論典とした。この論典によれば、ニヤーヤが考察する対象は、知識手段、知識対象、疑惑、動機、実例、定説、論証肢、仮定を用いた吟味、決定、論議、論争、論詰、似非(えせ)理由、詭弁(きべん)、誤った非難、論議の決着の場面、以上の16項目であるとされる。これらの項目からもわかるように、ニヤーヤは、当初、論理学というよりも、実際に論議・論争を行う際のテクニックをも含む、広い意味での論証の学であったといえる。ただ、『ニヤーヤ・スートラ』に対するバーツヤーヤナ(4世紀)の注釈書『ニヤーヤ・バーシヤ』の序文によれば、他人のために推理を開陳する、五つの論証肢(主張、理由、喩例(ゆれい)、適用、結論)を用いた推論には、すべての知識手段(直接知、推理、類比、言語)が駆使されているので、この推論こそが「最高のニヤーヤ」であるとされる。たとえば、「(主張)音声は無常である。(理由)つくられたものであることのゆえに。(喩例)およそつくられたものは無常である。たとえば水甕(みずがめ)のごとし。(適用)これもまたしかり。(結論)ゆえにしかり。」という推論がそれにあたる。やがて議論は、この推論における理由の当・不当、そしてまた、喩例で示される、「つくられたものであること」と「無常であること」との二つの属性の間の遍充関係の確定、その理由と遍充関係と「音声」なる基体との関係について精緻(せいち)に行われるようになった。この議論の精緻化には、仏教論理学との論争が深くかかわっている。仏教論理学は、古くはアビダルマという教学研究のなかで鍛えられ、通常はヘートゥ・ビディヤーと称せられる。これは理由についての学問という意味で、漢訳語では「因明(いんみょう)」とされ、「医方明」などと並ぶ五明(ごみょう)の一つとされ、学僧の必須(ひっす)科目とされた。因明は、『倶舎論(くしゃろん)』の著者世親(せしん)(バスバンドゥ)などによって推進されていったが、5世紀に陳那(じんな)(ディグナーガ)が『プラマーナ・サムッチャヤ』(知識手段集成)などを著すに至って面目を一新し、理由(因)を緻密に分析し、推論を展開するには三つの論証肢だけで十分であることを論証した。あまりにも画期的な業績であったため、陳那以降の因明は新因明、それよりも前の因明は古因明とよばれた。陣那以降、仏教には、ダルマキールティ(法称(ほっしょう))などの優秀な論理学者が輩出したため、ニヤーヤ学派は、バーチャスパティミシュラ、ウダヤナが防戦に努め、また、同じ正統バラモン教の一学派であるミーマーンサー学派のクマーリラもこの論争に加わり、三者三つどもえの論戦の火花を散らした。この論戦にあたって、ニヤーヤ学派は、しだいに本来の所依の論典である『ニヤーヤ・スートラ』から離れ、姉妹学派であるバイシェーシカ学派の基体と属性の分析、関係論を基本とするようになった。13(14?)世紀にガンゲーシャが『タットバ・チンターマニ』(真理の如意宝珠(にょいほうじゅ))という大著を著してからは、この傾向は決定的なものになり、そのため、ガンゲーシャ以降は、学派名もナビヤ(新)・ニヤーヤ派とよばれるようになり、学匠たちはもっぱらガンゲーシャの著作の研究に励むこととなり、現在に至っている。
[宮元啓一]
『吉田夏彦著『論理と哲学の世界』(1977・新潮社)』
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…文法や論理学の用語。その概略については,日本ではすでに小学校の国語教育で〈何が(は)どうする〉〈何が(は)どんなだ〉〈何が(は)何だ〉の〈何が(は)〉に当たるものを主語,〈どうする〉〈どんなだ〉〈何だ〉に当たるものを述語という,と教授するほどで,一般にも周知の用語である。…
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