自然学の諸原理を論ずるアリストテレスの著作の総称。自然(フシス)は「運動変化するもののうちにおける運動変化(キーネーシス)(または静止)の源泉、または原因」と定義される。運動変化とは、(1)実体の変化(生成〈ゲネシス〉・消滅〈プトラー〉)、(2)性質の変化(性質変化〈アロイオーシス〉)、(3)量の変化(増大〈アウクセーシス〉・減少〈プテイシス〉)、(4)場所の変化(移動〈ポラー〉)を総称する。運動変化を構成し、これを可能ならしめる究極の要素として、形相(エイドス)、欠如(ステレーシス)、質料(ヒューレー)の3要素が析出される。
運動変化とは一般に「或(あ)るもの(A)がそれではないもの(非A)になること」または「或るものではないもの(非A)が或るもの(A)になること」であるが、相反するものそのもの(形相と欠如、Aと非A)が互いに相反するものになることはないと考えられるので(たとえば、白そのものが黒になり、黒そのものが白になることはない)、形相と欠如のほかに第三のものが措定される。これが質料である。それは形相と欠如がともにそれについて述べられるものであって、変化の過程を通じて同じ一つのものとして持続する基体(ヒポケイメノン)である。これらはアリストテレスの自然存在論の基本の枠組みであって、全体系の基礎をなしている。さらに、無限、場所、空虚、時間、連続など、運動変化を構成する諸要件が分析され、ゼノンのアポリアに対する解答が準備された。最後に、運動の究極の根拠である不動の第一動者が論じられる。この存在論的な運動把握は、中世末期に至るまで長くヨーロッパの思弁を支配するものとなり、近代物理学はこれに対するアンチテーゼとして生まれた。
ほかに自然学関係書としては『天体論』De Caelo、『生成消滅論』De Generatione et Corruptioneや、動物学関係の諸著作『動物部分論』De Partibus Animalium、『動物発生論』De Generatione Animalium、『動物誌』Historia Animaliumなどがある。『霊魂論』De Animaは、生物体の形相である霊魂(プシューケー)を原理的、総括的に論じたもの。霊魂と肉体は生物体の形相と質料として、同じ一つの生物体を構成する2要素である。霊魂の機能には栄養、感覚、思考の三者が区別されるが、このうち、思考の機能をつかさどる部分が肉体の形相として、肉体から離れないものであるか否かは未決定のまま残され、後世の論争の種となった。すなわち、思考の働きを現実化する働きである「能動理性」にかかわる問題がこれである。
[加藤信朗]
近代的な精密科学に発展する以前の,思弁的傾向の強い自然に関する学問をいう。欧米語では物理学と自然学が同一の語で表されるが,これは自然学が概念的変貌を遂げるなかで,物理学へ転化していったことを如実に示している。古代ギリシアでは早くもイオニア学派が神話的解釈に満足せず,自然について独自の原理的な考察を行ったことが知られている。だが学問としての自然学を確立し,後世に巨大な影響を及ぼしたのはアリストテレスである。彼は学問全体を,それぞれ理論,実践,制作にかかわる三つの部門に分類し,自然学を形而上学および数学とともに理論的部門に位置づけた。もともと〈自然学(フュシカ)〉というラテン語自体,この分野に関するアリストテレスの著作を総称的に指すために使われたギリシア語〈自然学的諸著述(タ・フュシカ)〉に由来する。彼によれば,〈自然(フュシス)〉とは事物の運動と静止の原理であり,これらの原理とその具体的現象形態を研究するのが自然学であった。したがって彼の構想した自然学の範疇(はんちゆう)には,天体や気象の研究から生物や人間の研究にいたるまで,まさにあらゆる自然の研究が含まれている。アリストテレスの自然学体系は後に中世のアラビアやヨーロッパに伝えられたが,そこでは個々の具体的内容に関していくつかの注目すべき展開がみられるものの,枠組み自体はほとんど変わらなかった。しかし17世紀にガリレイやデカルトらによっていわゆる科学革命が遂行され,アリストテレス=スコラ的な世界像が崩壊すると,それにともない自然学の枠組みも大きく変化せざるをえなかった。そしてその結果,電気,磁気,熱,光などの無機的な自然界の基本現象を数量的実験的に研究するのが,自然学の新たな目標とみなされるようになった。だがこれらの研究の基礎が数学的に固められ,学問としての近代物理学が誕生するのは,19世紀に入ってからのことである。ちなみに〈物理学者physicist〉という英語が初めて使われたのは,1840年である。
→物理学
執筆者:横山 雅彦
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…このころ〈ドイツのシビュラ(女預言者)〉と呼ばれ,クレルボーのベルナールら同時代人に広く影響を及ぼした。彼女はまた自然学,医学,薬学にも強い関心を払い,その観察は中世ではまれに見る高度なもので,しかもアラビア科学の痕跡が少ない点でも注目される。主著《自然学》は博物学と医学とに関する百科全書的著作で,特に薬草を含む植物に注意が払われているが,彼女によって初めてドイツ名を与えられた動植物は1000種にも及ぶという。…
…その成果は彼の著作のほぼ半分をしめ,百科全書の観を呈している。また,自然現象や動植物の観察に強い関心を示し,さまざまの魔術伝説が生まれたほどであるが,実際には彼の自然研究者としての功績は,当時優勢であった数学的方法による自然現象の説明に対抗して,固有の対象と方法をもつ自然学を確立したことである。【稲垣 良典】。…
…哲学の諸分野,諸原理の最高の統一に関する理論的自覚体系。語源的には,アリストテレスの講義草稿をローマで編集したアンドロニコスが,《自然に関する諸講義案(タ・フュシカ)》すなわち自然学の後に(メタ),全体の標題のない草案を置き,《自然学の後に置かれた諸講義案(タ・メタ・タ・フュシカ)》と呼び,これがメタフュシカmetaphysicaと称されたことに基づく。内容的には,第二哲学としての自然学に原理上先立つ存在者の一般的規定を扱う第一哲学,自然的存在者の運動の起動者としての神を扱う神学を含む。…
…自然的世界の原理的反省を課題とする哲学の一分野。〈自然哲学philosophia natu‐ralis〉という言葉はセネカに始まるが,起源はソクラテス以前の自然学者たちによる自然(フュシス)の原理探究にさかのぼる。アリストテレスは運動する存在者に関する自然学を第二哲学と呼び,運動の起因者としての神の探究はこれを第一哲学(形而上学)にゆだねた。…
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【近代西欧の哲学】
キリスト教における〈神的な知〉への愛としての哲学は,近代西欧の哲学において,地上的な人間存在による知への愛としての哲学へ転回せしめられた。近代西欧の哲学は,17世紀に新しい哲学としての自然学を生み出し,18世紀には人間学すなわち今日の社会科学や人文科学へと展開された。しかしそれらは,18世紀後半に至るまでなお,今日の意味における〈科学〉ではなく実は〈哲学〉であり〈形而上学〉であった。…
… physicsの語源はギリシア語のフュシスphysisで,諸説あるが,ここでは,〈みずから成長する〉という意味のphyseinから生まれたと解しておく。直接的にはギリシア語のphysika,すなわち〈自然の事物〉の意を受け,アリストテレスの《自然学physika》に象徴されるように,それを扱う学問の意味で用いられた。ちなみに自然学として,ラテン語でもphysicaがそのまま転写して使われるが,意訳されるときは〈de rerum natura〉とされるのが習慣で,これを日本語で〈ものの本性について〉と訳すのは適切ではない。…
※「自然学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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