イズミル(その他表記)İzmir

デジタル大辞泉 「イズミル」の意味・読み・例文・類語

イズミル(İzmir)

トルコ西部、エーゲ海に面する港湾都市。古代ギリシャ名スミルナ。同国第三の都市であり工業、貿易が盛ん。紀元前10世紀にイオニア人が築いた植民都市に起源し、古代ローマ帝国東ローマ帝国時代にはエーゲ海の中心都市として栄えた。度重なる地震による被害や外敵の侵入のため、その歴史に比べ遺跡には恵まれないが、市内にはヘレニズム時代の城塞カディフェカレと古代ローマ時代のアゴラが残っている。人口、都市圏258万(2007)。

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精選版 日本国語大辞典 「イズミル」の意味・読み・例文・類語

イズミル

  1. ( [トルコ語] İzmir )[ 異表記 ] イズミール トルコ西部、エーゲ海に面した港湾都市。古代ギリシアの植民地として建設された。古代スミルナ。

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改訂新版 世界大百科事典 「イズミル」の意味・わかりやすい解説

イズミル
İzmir

トルコ,アナトリア西岸の商港,同名県の県都。人口230万(2003)。アナトリアの農産物鉱産物の輸出および食品加工,セッケン,皮革,化学,機械など各種工業の都市として知られる。軍事的にも重要でNATOの司令部がおかれている。前1000年ごろ,アイオリス人の植民市スミュルナSmyrna(スミルナ)として建設され,前627年にリュディアによって破壊されたが,ローマ時代に復興し,商港として,またキリスト教伝道の拠点として繁栄した。7世紀にアラブ軍の侵攻をうけ,11世紀以後,トルコ人,ジェノバ人,十字軍,ティムール軍などによって争奪戦が演じられたが,1415年にオスマン帝国領に編入された。16世紀前半には人口2000人ほどの小港であったが,17世紀以後エーゲ海・地中海・黒海交易の中心地としてしだいに発展し,とくに18世紀後半以降,エーゲ海諸島やペロポネソスモレア)半島方面からギリシア人のあいつぐ移住がみられ,また,ヨーロッパ諸国の商人の居留者が増加した。その結果19世紀にはこれら非トルコ・非ムスリム商人の台頭がいちじるしく,トルコ人から〈異教徒Gâvurのイズミル〉とよばれた。この町の商業的発展は,後背地に産するタバコ,綿花,乾燥果物,アカネ染料などが輸出作物として重要性を獲得したことによって急速に促進された。それに伴い,遠くイランから各種絹製品がここへはこばれるようになった。1866年に内陸諸都市と結ばれる鉄道が開通。1919年5月ギリシアは,この町を中心に〈イオニア国家〉の建設を意図して軍を派遣して占領した。20年8月のセーブル条約は,この町を5年間ギリシアの統治下におき,その後その帰属を人民投票によって決定することを規定した。しかしこの条約はトルコ人の祖国解放運動を激化させ,22年9月,トルコ軍はギリシア軍をこの町から追放し,23年7月のローザンヌ条約によってイズミルに対するトルコの主権が回復された。今日なお,アナトリアの各種産物の最大輸出港として,また,トロイアエフェソスペルガモンなどの古代遺跡観光の基地として繁栄している。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「イズミル」の意味・わかりやすい解説

イズミル
いずみる
zmir

トルコの小アジア半島西部、エーゲ海のイズミル湾に臨む港湾都市。イズミル県の県都。人口223万2265(2000)。イスタンブール、アンカラに次ぐトルコ第三の都市であり、古代ギリシア名はスミルナSmyrna。三方を山地で囲まれて深く湾入した天然の良港に恵まれ、道路、鉄道の発達によって広い後背地とも結び付き、トルコの重要な貿易都市として市街は活況を呈する。綿織、皮革、ビール、オリーブ油、染料、たばこなどの工業も発達する。毎年8~9月には国際見本市が開かれる。古来、地震による被害が大きく、史跡には恵まれない。考古博物館がある。近年の人口急増を象徴するかのように、丘陵上にはゲジェコンドゥ(一夜(いちや)建て)とよばれる急造住宅がひしめいている。

[末尾至行]

歴史

紀元前11世紀ごろにアカイア人によって建設され、リディア、フリギアなどの支配を経て、紀元後133年からローマ帝国領となった。11世紀以後この町はトルコ人の支配下に入り、17世紀以後ヨーロッパ諸国とオスマン・トルコ帝国との地中海貿易の拠点として繁栄すると、ペロポネソス半島やエーゲ海諸島から多数のギリシア人が移住した。第一次世界大戦後オスマン帝国が滅亡すると、1919年5月に、この町を中心にギリシア人による「イオニア国家」の建設を口実にギリシア政府は軍隊を派遣したが、トルコ人の抵抗によって失敗した(トルコ革命)。

[永田雄三]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イズミル」の意味・わかりやすい解説

イズミル
İzmir

トルコ西部の港湾都市で,同名県の県都。古代のスミルナ。エーゲ海から深く湾入するイズミル湾奥に位置する。地中海世界ではアテネに次いで過去 5000年間歴史的重要性をもち続けてきた都市で,前 3000年にさかのぼり,トロイとほぼ同時代に建設された。前 1000年頃にはギリシアの植民都市であったことが知られ,前7世紀に都市国家となったが,前6世紀頃リュディアに征服された。前4世紀にアレクサンドロス大王によって再建され,小アジアにおける主要都市となった。のちローマの属州アジアに編入され,ビザンチン時代はサモス海軍管区の首都となり,14世紀にはトルクメン人に占領された。十字軍やチムールの支配を受けたのち,1425年頃オスマン帝国領となった。 1919年5月ギリシア軍に占領されたが,22年トルコ軍が奪還した。第2次世界大戦後は急激に発展し,その位置条件もあって,NATO (北大西洋条約機構) の南部軍司令部がおかれている。工業ではイスタンブールに次ぎ,食品,セメント,綿・毛織物を生産し,化学工場や機械工場もある。中東一の国際見本市も毎年開かれ,後背地の農産物を輸出する。付近にはエフェソス,ペルガモンなどの有名な古代遺跡があり,観光地としても発達しつつある。人口 175万 7414 (1990) 。

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百科事典マイペディア 「イズミル」の意味・わかりやすい解説

イズミル

トルコ西部の同名県の主都。旧名スミルナ。エーゲ海に面し,鉄道終点で空港もあり,重要な貿易港。穀物,綿花,オリーブ,タバコ,果物を産し,絹布,絨緞(じゅうたん)生産など商工業の中心地。考古学博物館,国立図書館,NATO軍基地がある。古代ギリシアの植民都市で,オスマン帝国治下に交易拠点として発展。ギリシア人が多く来住した。1919年トルコ・ギリシア戦争でギリシアに占領されたがローザンヌ条約でトルコ領に戻った。280万3418人(2012)。
→関連項目エーゲ海モーリア

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旺文社世界史事典 三訂版 「イズミル」の解説

イズミル
Izmir

小アジア西端,エーゲ海に面するトルコの港湾都市。旧名スミルナ
建設はきわめて古く,ホメロスも住んだことがあるという。現在地はアンティゴノスの建てたもの。ローマ時代は商港として栄えたが,東西分裂後,近世まで長く不振を続けた。第一次世界大戦後,ギリシアが占領し,セーヴル条約でも5年間のギリシア管理が認められた。ムスタファ=ケマル(ケマル=パシャ)はこの奪回をめざして戦い,1923年のローザンヌ条約によってトルコの主権が承認された。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「イズミル」の解説

イズミル
&Iodot;zmir

トルコの港市。旧称スミルナ。アナトリアの西海岸にあり,古代から良港として知られている。オスマン帝国のもとで栄えたが,第一次世界大戦直後ギリシア軍の侵攻にあい,歴史的建造物の多くは焼失した。現在はトルコ第3の都市であり,毎年国際見本市も開かれる。

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