トルコ,アナトリア西岸の商港,同名県の県都。人口230万(2003)。アナトリアの農産物・鉱産物の輸出および食品加工,セッケン,皮革,化学,機械など各種工業の都市として知られる。軍事的にも重要でNATOの司令部がおかれている。前1000年ごろ,アイオリス人の植民市スミュルナSmyrna(スミルナ)として建設され,前627年にリュディアによって破壊されたが,ローマ時代に復興し,商港として,またキリスト教伝道の拠点として繁栄した。7世紀にアラブ軍の侵攻をうけ,11世紀以後,トルコ人,ジェノバ人,十字軍,ティムール軍などによって争奪戦が演じられたが,1415年にオスマン帝国領に編入された。16世紀前半には人口2000人ほどの小港であったが,17世紀以後エーゲ海・地中海・黒海交易の中心地としてしだいに発展し,とくに18世紀後半以降,エーゲ海諸島やペロポネソス(モレア)半島方面からギリシア人のあいつぐ移住がみられ,また,ヨーロッパ諸国の商人の居留者が増加した。その結果19世紀にはこれら非トルコ・非ムスリム商人の台頭がいちじるしく,トルコ人から〈異教徒Gâvurのイズミル〉とよばれた。この町の商業的発展は,後背地に産するタバコ,綿花,乾燥果物,アカネ染料などが輸出作物として重要性を獲得したことによって急速に促進された。それに伴い,遠くイランから各種絹製品がここへはこばれるようになった。1866年に内陸諸都市と結ばれる鉄道が開通。1919年5月ギリシアは,この町を中心に〈イオニア国家〉の建設を意図して軍を派遣して占領した。20年8月のセーブル条約は,この町を5年間ギリシアの統治下におき,その後その帰属を人民投票によって決定することを規定した。しかしこの条約はトルコ人の祖国解放運動を激化させ,22年9月,トルコ軍はギリシア軍をこの町から追放し,23年7月のローザンヌ条約によってイズミルに対するトルコの主権が回復された。今日なお,アナトリアの各種産物の最大輸出港として,また,トロイア,エフェソス,ペルガモンなどの古代遺跡観光の基地として繁栄している。
執筆者:永田 雄三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
トルコの小アジア半島西部、エーゲ海のイズミル湾に臨む港湾都市。イズミル県の県都。人口223万2265(2000)。イスタンブール、アンカラに次ぐトルコ第三の都市であり、古代ギリシア名はスミルナSmyrna。三方を山地で囲まれて深く湾入した天然の良港に恵まれ、道路、鉄道の発達によって広い後背地とも結び付き、トルコの重要な貿易都市として市街は活況を呈する。綿織、皮革、ビール、オリーブ油、染料、たばこなどの工業も発達する。毎年8~9月には国際見本市が開かれる。古来、地震による被害が大きく、史跡には恵まれない。考古博物館がある。近年の人口急増を象徴するかのように、丘陵上にはゲジェコンドゥ(一夜(いちや)建て)とよばれる急造住宅がひしめいている。
[末尾至行]
紀元前11世紀ごろにアカイア人によって建設され、リディア、フリギアなどの支配を経て、紀元後133年からローマ帝国領となった。11世紀以後この町はトルコ人の支配下に入り、17世紀以後ヨーロッパ諸国とオスマン・トルコ帝国との地中海貿易の拠点として繁栄すると、ペロポネソス半島やエーゲ海諸島から多数のギリシア人が移住した。第一次世界大戦後オスマン帝国が滅亡すると、1919年5月に、この町を中心にギリシア人による「イオニア国家」の建設を口実にギリシア政府は軍隊を派遣したが、トルコ人の抵抗によって失敗した(トルコ革命)。
[永田雄三]
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トルコの港市。旧称スミルナ。アナトリアの西海岸にあり,古代から良港として知られている。オスマン帝国のもとで栄えたが,第一次世界大戦直後ギリシア軍の侵攻にあい,歴史的建造物の多くは焼失した。現在はトルコ第3の都市であり,毎年国際見本市も開かれる。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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