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イバード派 イバードは`Ibāḍ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

イバード派
イバードは
`Ibāḍ

イスラムの異端,ハワーリジ派の穏健な一分派。同派は 684年頃,イラクのバスラで,同派の開祖であるイブン・イバードが,ハワーリジ派内の過激派であるアズラク派と袂を分ったことに始る。イバード派は,アズラク派とは違って自派と意見を異にするムスリムを背教者とみなしてこれにジハード (聖戦) を敢行することを拒否した。のち彼らの教義はウマイヤ朝後期からアッバース朝時代にかけて,特に北アフリカのベルベル人の間に広まった。今日同派は,オマーン,東アフリカ,リビアのトリポリ地方,アルジェリア付近に勢力をもつにすぎない。

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世界大百科事典 第2版の解説

イバードは【イバード派 Ibāḍ】

最初の指導者アブド・アッラーフ・ブン・イバード‘Abd Allāh b.Ibād(生没年不詳)の名によって名づけられたハワーリジュ派の穏健な一派。彼らはイブン・アッズバイルの支配を受け入れてバスラにとどまり,第2次内乱の平定(692)後はウマイヤ朝の支配を甘受した。またタキーヤ(危害を恐れて信仰を隠すこと)を認め,コーランハッドと定められた罪を犯した者はムーミン(信者)ではないが,ムワッヒド(一神教徒)であるとして,同じイスラム教徒としての共通性を重視した。

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世界大百科事典内のイバード派の言及

【オマーン】より

…オマーン最古の町とされるイズキは今日でもヤマン地区とニザル地区に分かれている。7世紀のイスラム創始後まもなく,ムハンマドの生存中に,オマーンはイスラム国家となり,8世紀ころイバード派イスラムが行き渡った結果,世襲制ではなく住民選出のイマーム(教主)が宗政一致の統治を行った。イバード派とはイスラムの主流派と激しく対立するハワーリジュ派の一分派で,スンナ派やシーア派と争う。…

【ルスタム朝】より

…アルジェリア西部にハワーリジュ派の一派イバード派が建てた王朝。777‐909年。…

※「イバード派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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