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インカタ自由党 インカタじゆうとうInkata Freedom Party; IFP

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

インカタ自由党
インカタじゆうとう
Inkata Freedom Party; IFP

南アフリカ共和国東部のクワズールー自治区を拠点とし,黒人最大部族のズールー族を支持基盤にもつ黒人保守派組織。のちに政党。ズールー族の再興を目指して 1928年に創設された「インカタ・カ・ズールー」が起源,75年マンゴスツ・ブテレジによって再結成された。アパルトヘイト時代に政府から資金援助を得てクワズールー自治区を形成。 91年には,警察から資金が流れていることが暴露され問題となった。 91年 12月の民主南アフリカ共和国会議 CODESAに参加したものの強い不満を表明,地方の強大な自治権を主張している。 92年 10月保守党など白人右派らとともに憂国南アフリカ共和国グループ COSAGを結成,93年 10月には「自由連合 FA」に発展させた。 94年4月の総選挙では 43議席を獲得し第3党となり,翌月発足したマンデラ政権に連立与党として参加,ブテレジ党首が内相に就任したのをはじめ,3閣僚が任命された。 96年5月新憲法採択の際には地方政府の権限をめぐりアフリカ民族会議 ANCと対立し,同案の採択に反対を表明した。 97年初頭には連立残留を望む穏健派と反 ANCを掲げるブテレジ党首派の確執が表面化し,穏健派の一部が離党した。

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知恵蔵の解説

インカタ自由党

南アフリカ共和国の最大部族ズールーを基盤とする政党。議長はG.ブテレジ。インカタはズールー語で「民族文化復興」の意味。19世紀初めのナタールを中心に強大な勢力を誇ったズールー族は1906年の反乱後、細分化され、75年にブテレジによって再興された。ブテレジはインカタの議長であると同時に、クワズールー・ホームランドの首相として分離発展政策に反対した。しかし、91年7月には政府との癒着が暴露されるなど、政府の協力者とみられた。初めデクラーク大統領の対話路線に賛成し、民主南ア会議に参加した。92年9月、政府・アフリカ民族会議(ANC)合意に反対して民主南ア会議から脱退し、保守党などと憂国南ア・グループ(COSAG、のち自由連合)を結成、地方分権を主張し選挙に反対したが、最終段階で選挙に参加、第3党となった。国民統合政府に参画したIFPは、新憲法制定過程で地方分権、第3者(外国人)の介入を主張し、制憲議会から脱退した。96年5月南アフリカ国民統合政府から国民党は脱退したがIFPはとどまった。99年6月の第2回総選挙で、民主党についで第3位となった。2004年4月の第3回総選挙では、28議席を獲得し第3位にとどまった。

(林晃史 敬愛大学教授 / 2007年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

デジタル大辞泉の解説

インカタ‐じゆうとう〔‐ジイウタウ〕【インカタ自由党】

南アフリカ共和国の政党。ズールー族を支持基盤とし、同じ黒人政党ながら保守派としてアフリカ民族会議とは一線を画す。IFP(Inkatha Freedom Party)。

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百科事典マイペディアの解説

インカタ自由党【インカタじゆうとう】

Inkatha Freedom Party(IFPと略)。南アフリカ共和国の最大民族であるズールー族を支持基盤とする政党。起源は,1925年のズールー族の文化復興運動にあり,1975年に穏健派反アパルトヘイト組織としてブテレジによって再興された。

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