改訂新版 世界大百科事典 「アフリカ人民族会議」の意味・わかりやすい解説
アフリカ人民族会議 (アフリカじんみんぞくかいぎ)
African National Congress
南アフリカのアフリカ人民族主義運動組織。略称ANC。アフリカ民族会議とも訳される。1912年,原住民土地法案に反対して弁護士P.I.セメの呼びかけにより結成された南アフリカ原住民民族会議が23年に改称したもの。反人種主義,アフリカ人の権利擁護を目標としたが,初期の運動形態はM.K.ガンディーの非暴力主義の影響を受け,穏健なものであった。その後ANC内の青年層は武力闘争を主張し,43年青年同盟を結成,ANCもそれに刺激され,穏健路線を放棄した。政府は50年共産主義弾圧法を制定し取締りを強化したのに対し,52年N.R.マンデラの指導下に抗議キャンペーンを実施,多数が逮捕された。55年にはA.J.ルツーリの呼びかけで南アフリカの民主化を主張する自由憲章を採択した。59年ANC内の過激派が分裂してパン・アフリカ人会議(PAC)を結成し,パス法に反対して60年3月シャープビル事件を起こし,多くの死傷者を出すとともに,ANC,PACは非合法化された。非合法化されたANCは本部をザンビアの首都ルサカに移し,マンデラの指導下にゲリラ組織ウムコント・ウェ・シズウェ(民族の槍)を結成した。マンデラは62年逮捕され,64年のリボニア裁判によって終身刑を受け,以降27年間獄中にあった。89年9月デ・クラーク大統領の対話政策により,翌90年2月ANCは合法化され,マンデラは釈放された。91年12月と92年5月に民主南アフリカ会議,93年4月と7月に多党交渉フォーラムが開催された。この間,ズールー族を基盤とするインカタ自由党(IFP)との武力衝突がたびたび起こり,死者は2万人を超えた。93年末,暫定政府と暫定憲法が成立。翌94年4月南ア史上初の全人種参加の制憲議会選挙が実施され,ANCが勝利,国民党,IFPとの連立政権が誕生し,マンデラが初代大統領となった。99年後継ANC議長T.ムベキが大統領となった。
執筆者:林 晃史
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報