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イングーシェチア いんぐーしぇちあ

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

イングーシェチア
いんぐーしぇちあ
Ингушетия Ingushetiya

ロシア連邦に属する共和国。ロシア南西部、大カフカス山脈の北側に位置する。正称イングーシェチア共和国Ингушская Республика/Ingushskaya Respublika。イングーシ共和国ともいう。面積3600平方キロメートル、人口31万7000(1999)。首都はマガスМагас/Magas。人口12万1100(2003推計)。平均気温は1月零下10~零下3℃、7月21~23℃。年降水量は1200ミリメートル以下。[上野俊彦]

沿革

1810年ロシア領に編入された。1921年ロシア連邦社会主義共和国に属する山岳自治社会主義共和国に加わり、1924年イングーシェチア自治州となる。1934年北東に接するチェチェンと合併してチェチェノ・イングーシ自治州となり、1936年自治共和国に昇格した。1942~1943年ドイツ軍に占領され、ドイツ軍に協力したとされて1944年自治共和国は廃止され、住民は強制移住させられた。1957年チェチェノ・イングーシ自治ソビエト社会主義共和国Чечено-Ингушская АССР/Checheno-Ingushskaya ASSRとして復活、ロシア連邦内の自治国家として存続してきた。ソ連崩壊(1991年12月)に先だつ1990年11月共和国最高会議が国家主権宣言を採択、1991年チェチェノ・イングーシェチア(チェチェノ・イングーシ)共和国となった。同年9月チェチェン国民全国大会がチェチェン共和国の国家主権を宣言、10月27日共和国大統領選挙が実施され、チェチェン人のジョハル・ドゥダエフDzakhar Dudaev(1944―96)が選出されたが、イングーシ人は選挙をボイコット、ロシア連邦最高会議もこの選挙を違法とした。イングーシ人はチェチェンとの分離を要求、11月に独自の国民投票を実施して、イングーシェチア共和国の創設とロシア連邦への残留を要求した。当初イングーシェチアの分離に反対していたドゥダエフ政権も12月末には分離を承認、1992年ロシア連邦人民代議員大会は、チェチェン共和国とイングーシェチア共和国との分離を決定した。[上野俊彦]

住民・産業

1993年の民族構成は、イングーシ人(21万5500、70.0%)、ロシア人(1万4000、4.5%)、チェチェン人(1万3000、4.2%)のほか、少数のトルコ人からなる。イングーシ人の宗教はイスラム教スンニー派。
 おもな工業は、石油精製、石油化学、化学、天然ガス精製、金属加工、繊維、食品加工。農業では、トウモロコシ、小麦、エンバク、大麦、サトウダイコン(テンサイ)、ヒマワリ、ジャガイモの栽培、ウシ、ヒツジの牧畜、養豚が盛んである。[上野俊彦]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

世界大百科事典内のイングーシェチアの言及

【イングーシ[共和国]】より

…首都ナズラニNazran’。地域名はイングーシェチアIngushetiya。ソ連邦下ではロシア共和国内のチェチェン・イングーシ自治共和国の一部であった。…

※「イングーシェチア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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