エムス電報事件(読み)エムスでんぽうじけん

百科事典マイペディア 「エムス電報事件」の意味・わかりやすい解説

エムス電報事件【エムスでんぽうじけん】

1870年7月エムスEmsに滞在中のプロイセンウィルヘルム1世をフランス大使ベネデッティが訪問,スペイン王位継承問題に関して会談したことを報じた電報を,ビスマルク故意文章を変えて発表した事件。独仏両国民を刺激して普仏戦争を起こさせた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「エムス電報事件」の解説

エムス電報事件(エムスでんぽうじけん)
Depesche von Ems

1870年7月ドイツのエムスでプロイセン王ヴィルヘルム1世とフランス大使ベネデッティの間に,スペイン王位継承問題についての会談が行われた。国王からの電報を受けとったビスマルクは,フランス大使が王を脅迫し王が大使を追い返したように電報を修正して発表し,ドイツ人を憤激させるとともにフランス人を挑発し,プロイセン‐フランス戦争のきっかけをつくった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「エムス電報事件」の解説

エムス電報事件
エムスでんぽうじけん
Depesche von Ems

1870年に起きた,ビスマルクの電報修正事件。普仏 (ふふつ) 戦争の直接の原因となった
プロイセン王ヴィルヘルム1世とフランス大使ベネデッティとが,スペイン王位継承問題に関してエムスで会談を行った。この内容を報じたプロイセン王からの電文をビスマルクは,仏大使が王に非礼要求をしたかのように修正して発表し,ナポレオン3世を挑発して開戦に導いた。エムスはドイツの有名な温泉場

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「エムス電報事件」の意味・わかりやすい解説

エムス電報事件
エムスでんぽうじけん
Emser Depesche

1870年7月,普仏戦争発端となったビスマルクの電報改竄 (かいざん) 事件。スペイン王位継承問題に関するフランス大使との会談を伝える,エムス滞在のドイツ帝国初代皇帝ウィルヘルム1世の電報を変更して新聞に発表,反フランス的な世論を誘起した。

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