日本大百科全書(ニッポニカ) 「エールフランス航空」の意味・わかりやすい解説
エールフランス航空
えーるふらんすこうくう
Air France
フランスを代表する航空会社。航空業界の不振を契機に、1933年8月、民間航空会社5社を再編成することにより誕生した。第二次世界大戦前には、85機の航空機をもち、ヨーロッパ大陸はもとより、アフリカ、アメリカ大陸にも定期便を運行していたが、本格的に国際路線を展開するようになるのは、大戦終結後の1948年に国有化されてからである。国際路線を大幅に拡大するとともに、世界で最初にジェット旅客機を投入するなど新機種導入にも積極的に取り組んだ。1952年には、パリ―東京間に定期便が就航している。1973年の石油危機後一時的な停滞を経験したものの、1980年代までは、旅客、貨物需要が拡大したことによって比較的順調な成長を遂げた。英仏共同開発による超音速旅客機コンコルドが1976年に就航したことは、まさに同社の戦後の成長を象徴する出来事であった(同社でのコンコルド運航は2003年5月で停止)。また、フランス政府の保護にも支えられて、1963年に結成されたUTAUnion des Transports Aériensが旧植民地諸国への路線、1954年に設立されたエール・アンテールAir Interが国内路線といったすみ分けが図られていた。しかし、1980年代終わりから航空業界の規制緩和が進むと同社の業績は急速に悪化する。UTAの買収(1990)や、メリディアン・ホテルチェーンの売却(1994)など航空輸送に集中する一方、不採算路線からの撤退や大幅な組織改革を断行したことで、1998年度には急速に業績を回復させた。1997年に、エール・アンテールを統合し、国内および国際路線をもつ名実ともにフランスを代表する航空会社となった。また、フランス政府保有株の一部売却が1999年2月に完了し、政府保有は94%から56.7%に引き下げられた。1998年度では、89か国、223都市を結び、3400万人の旅客を輸送した。売上高は約600億フラン(91億ユーロ)、従業員数は5万5000人。
2003年、KLMオランダ航空との経営統合を発表、2004年にかけて統合を行い、世界最大手の航空グループとなる共同持株会社「エールフランス-KLM」が誕生した。2005年度では、83か国、189都市を結び、従業員数7万1600人、エールフランス-KLMグループとしては、104か国、248都市を結び、約7000万人を旅客輸送、売上高は214億ユーロ。
[小澤一男]
その後の動き
2008年度では、98か国183都市を結び、従業員数7万4320人、エールフランス-KLMグループとしては244都市を結び旅客7444万人を輸送、売上高は239億7000万ユーロ、赤字額8億1400万ユーロ。
[編集部]