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オスメーニャ

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百科事典マイペディアの解説

オスメーニャ

米国植民地支配期のフィリピンの政治家。フィリピン中部のセブ島生れ。米国からの即時独立を掲げるナショナリスタ党(1907年結成)の創立メンバー。1907年−1916年フィリピン議会議長,1916年−1922年下院議長,1935年コモンウェルス大統領

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世界大百科事典 第2版の解説

オスメーニャ【Sergio Osmeña】

1878‐1961
アメリカ植民地支配期のフィリピンの政治家。フィリピン中部のセブ島セブ市の出身で,中国系の血が濃い。1906年にセブ州知事に当選。07年のナショナリスタ党創立推進メンバーの一人で,同年開設された一院制のフィリピン議会に議席を得,16年まで議長を務めた。16年に二院制議会になって以後は,22年まで下院議長の職にあった。この間彼は,連続して与党ナショナリスタ党の総裁を務め,文字どおり政治の最高指導者であった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

オスメーニャ
おすめーにゃ
Sergio Osmea
(1878―1961)

フィリピンの政治家。セブ島セブ市出身。1906年セブ州知事に当選して政界に入る。1907年第1回フィリピン議会(一院制)に当選、1916年まで議長を務めた。1916年二院制議会の成立後は1922年まで下院議長。1906~1922年の間は与党ナショナリスタ党の総裁であったが、その後はケソンに国政の最高指導権を奪われた。1935年にフィリピン・コモンウェルスの副大統領となり、1944年ケソンの死で大統領に昇格したが、1946年フィリピン共和国成立後は政界より引退。[池端雪浦]

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世界大百科事典内のオスメーニャの言及

【ナショナリスタ党】より

…以後46年1月リベラル党が結成されるまで,一党独裁に近いかたちでフィリピン政治を牛耳り,結党の趣旨に反して対米協調的政策をとった。この間,オスメーニャ,ケソンの二大巨頭の指導権争いから,1922年と34年の2度にわたって大規模な分党騒ぎがあったが,いずれも暫時にして再統合された。しかし1922年以降,党の指導権はオスメーニャからケソンの手に移り,またこれ以後35年までは合同ナショナリスタ党Partido Nacionalista Consolidadというのが党の正式名称であった。…

【リベラル党】より

…大戦後,フィリピン政治は,日本占領期の対日協力者をどう扱うかという難問に直面した。ワシントンでコモンウェルスの亡命政権を維持したナショナリスタ党のオスメーニャ大統領は,アメリカ国防省の圧力で対日協力者処罰方針をとらざるをえなかったが,戦後政治の新しい指導者をめざすロハスは,GHQ司令官マッカーサーの後ろ盾を得て対日協力者免罪方針を打ち出し,1945年12月ナショナリスタ党を離党した。彼と同調者は46年1月リベラル党を結成,同年4月の大統領および国会議員選挙に臨んで大勝し,党の地盤を確立した。…

※「オスメーニャ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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