オールド・ビック
おーるどびっく
Old Vic
イギリスの劇場および劇団名。ロンドンのテムズ川南部に1818年ロイヤル・コバーグ劇場の名で開設されたが、ビクトリア王女の来場を記念してロイヤル・ビクトリア劇場と改称、それがのちにオールド・ビックの名で親しまれるようになった。長い間場末の寄席(よせ)であったが、1880年に社会改良家エマ・コンズEmma Cons(1838―1912)が禁酒ミュージック・ホールに改造、その死後、姪(めい)のリリアン・ベイリスLilian Mary Baylis(1874―1937)の9年間かけてのシェークスピア劇全作品上演の壮挙により、一躍シェークスピア劇の殿堂となった。ジョン・ギールグッド、ローレンス・オリビエ、イーディス・エバンズEdith Evans(1888―1976)らがこの舞台で当りをとるなど、俳優の登竜門ともなった。劇団はシーズンごとの契約制で新鮮な刺激を図っていたが、1941年に爆撃で劇場が倒壊したあと、ウェスト・エンドのニュー劇場で公演を続け、1950年に本拠地に戻った。古典や新作の上演で着実な活躍ぶりを示したが、1963年からナショナル・シアター劇団の本拠地となり、オールド・ビックの劇団活動は停止した。1976年のナショナル・シアター開場後、一時名称が復活したが、1981年に消滅した。
[中野里皓史]
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オールド・ビック
Old Vic
イギリス,ロンドンの劇場。1818年,ウェスト・エンドの劇場街から離れたテムズ川南岸にローヤル・コーバーグ劇場として開場。33年,のちのビクトリア女王にちなんでローヤル・ビクトリア劇場と改称され,オールド・ビックという通称で親しまれた。おおむね大衆的なだしものを上演していたが,1912年にベーリスLilian Baylisが運営責任者となり,質の高いシェークスピア劇上演を始めた。彼女は37年に没し,第2次大戦中に劇場も空襲で破壊されたが,50年再開場,シェークスピア劇上演を続けた。53年から58年にかけて,シェークスピアの全戯曲の上演を達成。63年,新しく結成されたナショナル・シアターの仮の本拠となり,76年まで使用された。それ以後はかつての栄光を失い,おもに地方を巡業していたレパートリー劇団であるプロスペクト劇団の本拠として一時使われたが,劇団が財政難のために80年に解散してからは,ほとんど閉鎖されたままになっている。
執筆者:喜志 哲雄
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「オールド・ビック」の意味・わかりやすい解説
オールド・ビック
英国の劇場。ロンドンのテムズ川南岸にある。1818年ローヤル・コーバーグ劇場として設立,1833年のちのビクトリア女王の来場を記念してローヤル・ビクトリア劇場と改称,以後,通称オールド・ビックの名で親しまれた。通俗劇や音楽会に使用されたが,1915年改築されてシェークスピア専門劇場となる。第2次大戦中破損したが1950年再建。1963年,新しく結成されたナショナル・シアターの仮の本拠となったが,1980年以降は事実上閉鎖。
→関連項目オリビエ
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世界大百科事典(旧版)内のオールド・ビックの言及
【国立劇場】より
…次に〈ナショナル・シアター〉だが,イギリスは,エリザベス朝以来,ことに演劇が盛んで劇場も多く,長い間ロンドンの〈コベント・ガーデンCovent Garden劇場〉や〈ドルーリー・レーンDrury Lane劇場〉は国王勅許の特権的劇場だったが,今日的な国立劇場(と劇団)の出現は遅れて,その創設が俎上(そじよう)にのぼったのは第1次大戦前後のことであった。そして,第2次大戦後,49年に設置法案が議会を通過,まず由緒あるシェークスピア劇場(と劇団)である〈[オールド・ビック]〉がL.K.オリビエをディレクターに〈ナショナル・シアター〉となり,64年に新劇場の建設を開始,76年に中,次いで大,最後に小劇場が完成(1977),新ディレクターは演出家P.ホール,そしてJ.ギルグッド,P.スコフィールドらの俳優,演出家のJ.デクスター,劇作家のH.ピンターらの協力を得て,ここは,準国立劇場(と劇団)の〈[ローヤル・シェークスピア劇団]Royal Shakespeare Company〉(略称RSC)とともに,なかなかフレッシュでめざましい仕事ぶりを見せている。 なお,アメリカにも,西欧諸国と比較して少ないにせよ,公共の財政援助はあるが,国立劇場(と劇団)はなく,演劇制作が徹底してプライベートなのはいかにも御国柄を反映していて面白い。…
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