アラゴン王フェルナンド2世(在位1479-1516)とカスティリャ女王イサベル1世(在位1474-1504)の2人の通称。カトリック王の称号は,イベリア最後のイスラム国グラナダを征服した功績をたたえて,ローマ教皇アレクサンデル6世から贈られた。ちなみに以後歴代スペイン王はしばしば〈カトリック王〉と呼ばれた。
結果的には近代スペインの創設者となる2人は,中世末期の混乱の最中に結婚した(1469)。それは存亡の危機に瀕したアラゴンの最後の期待と,揺れ続ける王位継承者としての自分の立場を強化しようとするイサベルの狙いが結びついた結果だった。そしてイサベルの即位直後に起きた外国軍の侵入を伴う内戦を両王が収拾した時,2人の思惑は達成され,また彼らの中に救国者を見て取った世論は熱い信望を寄せた。
両王の共同統治は一気にカスティリャとアラゴンの統一に行き着くものではなかった。むしろ内政面では従来の独自性を共に維持し,外部に向けてはカスティリャの主導下に協調するとの原則に立つ連合が2国の新体制だった。
新体制の柱となったカスティリャで,両王は一貫して王権の強化と優位確立を追求,巧みな均衡に乗った強権政治を進めた。国土回復戦争の完結を意味するグラナダ王国の征服,近代史の開幕を告げる新世界との出会い,両国のヨーロッパへの回帰につながるイタリア南部の支配強化等,後のスペイン史ばかりか広く世界史を決定づける政策が,いずれも成功裏に運ばれた。両王は新体制の基盤をキリスト教による信仰の統一に置き,このために中世以来の伝統を破ってイスラム教徒とユダヤ教徒に改宗か国外退去かの選択を迫った。さらに一部高位聖職者の協力を得て,いち早く教会刷新を進め,後のプロテスタント革命による混乱を未然に防止した。政治面での勝利と成功はそのまま文化面にも反映され,印刷機の普及や大学新設等,やがて訪れる“黄金世紀”の確かないくつかの前兆が認められた。
執筆者:小林 一宏
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…
[スペインの誕生]
15世紀後半,イベリア半島はカスティリャ,アラゴン連合王国(以下アラゴンと略記),ポルトガル,ナバラおよびイスラム教徒のグラナダ王国(ナスル朝)の5ヵ国に分かれ,そこにはまだスペインという国はなかった。しかし,カスティリャにイサベル1世が立ち(1474),次いでアラゴンの王位にフェルナンド2世が就くと(1479),その後40年足らずの間にポルトガルを除く4ヵ国はカトリック両王のもとに一つの王権を共有するという形で新しい政治単位を形成,周辺諸国はこれをスペインと呼び始めた。 しかし,このスペインは決してカスティリャとアラゴンの統一合体を意味するものではなかった。…
…1494年6月スペインのカトリック両王とポルトガルのジョアン2世との間で締結された条約で,これにより大西洋における両国の管轄区域が定められた。コロンブスの発見地を1479年のアルカソバス協定にもとづいて自国の領土に属すると主張するジョアン2世に対し,カトリック両王はローマ教皇アレクサンデル6世に使者を送り,発見地が自国に属する旨の大教書の公布を求めた。…
※「カトリック両王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新