カスティリャ(その他表記)Castilla

改訂新版 世界大百科事典 「カスティリャ」の意味・わかりやすい解説

カスティリャ
Castilla

イベリア半島中央部の地方。北のビスケー湾岸から南はモレナ山脈に至り,マドリード北西部のグアダラマとグレドス両山脈を境に,北の旧カスティリャと南の新カスティリャに二分される。ちなみにCastillaの名はラテン語castellum(城)の複数形カステラcastellaに由来,〈城塞の多い国〉を意味し,8世紀末に文献に現れる。なお,カスティリャ王国とは地理的広がりからして異なる点に注意を要する。

 両カスティリャは,共にメセタmesetaと呼ばれる標高600~700mの高原台地を最大の地理的特徴とし,同じく共に周囲を山々に取り囲まれている。北部沿岸を除いて海洋の影響から隔絶されているために,気候寒暑の差が大きくかつ厳しい大陸性気候である。平均年降水量は370~570mm程度で,春から夏にかけての降水はほとんどなく乾燥が激しい。旧カスティリャのドゥエロ川,新カスティリャのタホ川グアディアナ川は夏季に水量が大幅に減り,古来交通の用をなさない。

 住民はイベリア原住民,ケルト人,ローマ人,ゲルマン人等の混血から成るが,中世の国土回復戦争を通してバスク人がカスティリャの再入植運動に大きな役割を果たした。13世紀から16世紀にかけては人口も多く,ブルゴスバリャドリード,メディナ・デル・カンポ,セゴビアトレドクエンカ等はそれぞれに独自の経済活動を支えに繁栄した。だが,17世紀以降は首都マドリード以外は衰退していった。伝統的な主幹産業は農業(小麦ブドウオリーブ)と牧畜(牛,豚,羊)およびこれに関連する食品加工業だが,近年はマドリードとバリャドリード等では近代工業の発展もきわめて著しい。
カスティリャ王国
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百科事典マイペディア 「カスティリャ」の意味・わかりやすい解説

カスティリャ

スペイン中央部から北部に及ぶ地方で,旧カスティリャ王国の中心部を占める。サンタンデル,バリャドリードなど8県を含む北部の旧カスティリャと,マドリード,トレドなど5県を含む南部の新カスティリャとに分かれていたが,現在はカンタブリア,リオハ,カスティリャ・イ・レオン,カスティリャ・ラ・マンチャの各自治州に分かれる。全般にメセタと呼ばれる600〜700mの高原地帯で,大陸性の乾燥した気候。小麦,大麦,ブドウ酒を産し,牧羊が行われる。カスティリャ・ラ・マンチャ南西部に世界的な水銀の産地アルマデンがある。
→関連項目カステラ

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「カスティリャ」の解説

カスティリャ(ラモン)
Ramón Castilla y Marquesado

1797~1867

ペルーの大統領(在任1845~51,55~62)。当初スペイン軍に見習士官として従軍したが,1821年サン・マルティン軍に身を投じ,ペルー国軍の創設に寄与した。39年蔵相,45年から2期大統領を務め,独立後の混乱を収拾して統一国家の基礎をつくった。米州会議の開催,南アメリカ初の鉄道建設,民法制定,先住民の貢納廃止,奴隷解放などを実現した。

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世界大百科事典(旧版)内のカスティリャの言及

【イベリア半島】より

…このアルプス造山運動の営力に対し,上記の山塊は,エブロ山塊やベティカ・リフ山塊のように沈下して,エブロ低地やジブラルタル海峡を形成したり,あるいはイベリア中央山塊のように全体的に隆起したり,その対応は異なっている。イベリア中央山塊は隆起により西に傾斜しただけでなく,さらに山塊の中央部の弱体であった破砕帯には北東から南西方向に中央山系,トレド山地が隆起し,この中央山系の南北に北メセタ(旧カスティリャ)と南メセタ(新カスティリャ)の2盆地が形成された。イベリア中央山塊の北部周辺部は南方方向の隆起と陥没により複雑な地形を生み出したが,南部周辺部では断層による大陥没地帯が生じ,南メセタの南縁を形成し,グアダルキビル断層として知られる。…

【カトリック両王】より

…アラゴン王フェルナンド2世(在位1479‐1516)とカスティリャ女王イサベル1世(在位1474‐1504)の2人の通称。カトリック王の称号は,イベリア最後のイスラム国グラナダを征服した功績をたたえて,ローマ教皇アレクサンデル6世から贈られた。…

【スペイン帝国】より

…さらに自国領以外の土地およびその住民に対する統治行為の意味に〈帝国〉を解するならば,〈スペイン帝国〉は1898年まで続いた。
[スペインの誕生]
 15世紀後半,イベリア半島はカスティリャ,アラゴン連合王国(以下アラゴンと略記),ポルトガル,ナバラおよびイスラム教徒のグラナダ王国(ナスル朝)の5ヵ国に分かれ,そこにはまだスペインという国はなかった。しかし,カスティリャにイサベル1世が立ち(1474),次いでアラゴンの王位にフェルナンド2世が就くと(1479),その後40年足らずの間にポルトガルを除く4ヵ国はカトリック両王のもとに一つの王権を共有するという形で新しい政治単位を形成,周辺諸国はこれをスペインと呼び始めた。…

【トラスタマラ朝】より

…中世後半イベリア半島のカスティリャとアラゴン連合王国の2国を統治した王朝。1369年初頭,カスティリャ王アルフォンソ11世の庶子でトラスタマラ伯エンリケは,父王を継いだ嫡子ペドロ1世をその手で刺殺,エンリケ2世Enrique IIとして王位に就き,新たにトラスタマラ朝を開いた。…

※「カスティリャ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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