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カリーニン Kalinin, Mikhail Ivanovich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

カリーニン
Kalinin, Mikhail Ivanovich

[生]1875.11.7/19. ベルフニャヤトロイツァ,トベリ
[没]1946.6.3. モスクワ
ソ連の政治家。農民の出身であるが,のちペテルブルグに出て旋盤工として働き,1898年ロシア社会民主労働党に入党。地下革命運動を行い,たびたび投獄された。 1912年には党中央委員候補に選ばれ『プラウダ』紙創刊に参画。二月革命,十月革命に参加し,革命後ペテルブルグ市長に就任した。 19年全ロシア中央執行委員会議長,ソ連邦成立後の 22年中央執行委員会議長。 26年政治局員,38~46年ソ連最高会議幹部会議長 (国家元首) などの要職を占め,死後は赤の広場に葬られた。レーニン勲章2回,赤旗勲章2回を受章したほか,社会主義労働英雄の称号を受けた。

カリーニン

トベリ」のページをご覧ください。

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デジタル大辞泉の解説

カリーニン(Mikhail Ivanovich Kalinin)

[1875~1946]ソ連の政治家。中央執行委員会議長・最高会議幹部会議長を歴任

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百科事典マイペディアの解説

カリーニン

トベーリ

カリーニン

ソ連の政治家。1898年からロシア社会民主労働党員。1903年ボリシェビキの一員となり,1917年十月革命の際はペトログラード党指導者の一人。全ロシア中央執行委員会議長(1919年―1922年),ソ連邦中央執行委員会議長(1923年―1938年),党政治局員(1925年―1946年),最高幹部会議長(1938年―1946年)として死に至るまでソ連最高指導者の一人。
→関連項目ビロビジャン

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世界大百科事典 第2版の解説

カリーニン【Mikhail Ivanovich Kalinin】

1875‐1946
ソ連邦の政治家。農民出身の労働者で,ペテルブルグ労働者階級解放闘争同盟にも参加した古参ボリシェビキである。十月革命後は急逝したスベルドロフのあとをうけ,1919年全ロシア中央執行委員会議長,ソ連邦形成(1922)後はソ連邦中央執行委員会議長,つづいて38‐46年はソ連邦最高会議幹部会議長として,28年間国家元首をつとめ,特に農民のソビエト国家への統合の象徴となる。1925年末から共産党政治局員として,主流派の誠実な指導者の役割をはたした。

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367日誕生日大事典の解説

カリーニン

生年月日:1875年11月19日
ソ連の政治家
1946年没

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世界大百科事典内のカリーニンの言及

【トベーリ】より

…人口45万9300(1993)。トベーリを,この州出身の革命家M.I.カリーニンを記念して1931年にカリーニンと改称。90年旧称にもどる。…

【トベーリ】より

…人口45万9300(1993)。トベーリを,この州出身の革命家M.I.カリーニンを記念して1931年にカリーニンと改称。90年旧称にもどる。…

※「カリーニン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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