カレン民族同盟(読み)カレンみんぞくどうめい

百科事典マイペディア 「カレン民族同盟」の意味・わかりやすい解説

カレン民族同盟【カレンみんぞくどうめい】

ミャンマーの少数民族カレン人の反政府武装組織。KNUと略称。カレン人はビルマ独立準備中の1947年に,ビルマからの分離独立を求めて同組織を結成。カレン人国家〈コートゥーレー〉の独立を宣言して武装闘争に入った。その後,1984年他の少数民族組織とともに民族民主戦線NDF)を結成。1988年には国民民主連盟の一部を含む約20の民主化運動組織とともにビルマ民主連盟を結成した。1990年12月にはカレン州で〈ビルマ連邦国民連合政府〉の樹立を宣言。しかし,その後政府側の攻勢により,16の少数民族組織のうち13の組織が1994年末までに和平合意,またカレン民族同盟内でも1994年12月にキリスト教徒の指導部と仏教徒のグループが対立した。その機に乗じて政府側が軍事的攻勢をかけ,1995年1月に本拠地のマナプロウが陥落。一部がタイに避難したが,組織的に大打撃を受けた。1996年2月から政府側との和平交渉が開始されたが1997年春に決裂,タイ国境の拠点のほとんどを失った。
→関連項目ミャンマー

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カレン民族同盟」の意味・わかりやすい解説

カレン民族同盟
カレンみんぞくどうめい
Karen National Union; KNU

ミャンマー (旧ビルマ) 南部,南東部の少数民族カレン族の自治・分離運動組織。 1946年末,カレン中央組織 KCOは KNUとカレン青年組織 KYOに分裂,KNUは反ファシスト人民自由連盟 AFPFLから脱退した。カレン族は植民地化の過程でキリスト教徒化し,第2次世界大戦中もイギリスに重用された。しかし,そのことが脱植民地化の過程および独立後もビルマ人との対立を増幅した。 KNUは 47年4月の制憲議会選挙をボイコット,9月にはカレン民族防衛機構 KNDOを組織し,12月に武力攻勢を強め,49年1月に KNDOは非合法化された。 62年3月成立の革命評議会による軍政下および 74年3月の民政移管後も,ネ・ウィンは一貫して反政府勢力弾圧を続けた結果,75年5月 KNUを中核として民族民主戦線 NDFが結成された。国家法秩序回復評議会 SLORC全権掌握後の 88年 11月,KNUは全ビルマ学生民主戦線 ABSDFなどと連係して,ビルマ民主同盟 DABを結成。ミャンマー政府は森林伐採権売却・国境貿易でタイとの関係改善をはかる一方で,92年にはミャンマー政府軍が反政府勢力掃討のためタイ側へ越境したことで,両国関係が緊張した。

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デジタル大辞泉プラス 「カレン民族同盟」の解説

カレン民族同盟

《Karen National Union》1947年結成の、ミャンマーの反政府武装組織。カイン州で活動。カレン族の自治権拡充を目的に設立され、1949年より武力闘争を開始。2011年の民政移管後、政府との停戦協定に合意。

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