ミャンマーの政党。1988年の民主化要求運動の際にアウン‐サン‐スー‐チーらが結成。1990年の総選挙で大勝したが、軍事政府の弾圧を受け、挫折を余儀なくされた。2010年の総選挙はボイコットし、一時解党したが、翌年再結成。2015年の総選挙で再び大勝し、政権交代が実現する見通しとなった。NLD(National League for Democracy)。
1988年9月に結成された、ミャンマー最大の民主化運動組織。議長はアウン・シュエ、副議長はティン・ウで、アウン・サン・スー・チーは書記長。国家法秩序回復評議会(SLORC:State Law and Order Restoration Council)は89年に入ると、NLDの幹部の約半数を逮捕、スー・チーを自宅軟禁、ティン・ウ副議長らを懲役刑に処した。こうした妨害にもかかわらず、NLDは90年5月27日の総選挙で、485議席中396議席を獲得。SLORCはこの選挙結果を無視、それに抗議するデモ隊への発砲や議員の逮捕、一部政党の非合法化などで弾圧した。スー・チーは95年7月10日に6年間の自宅軟禁を解かれると、国際世論の支持を背景に政権との対決姿勢を強めた。これに対し、政権側もNLD弱体化を狙って地方支部を締め付けた。変化の兆しが出たのは、2000年ごろから明確になった国連事務総長らの仲介による両者の対話促進の機運醸成だ。02年5月、スー・チーは自宅軟禁を解かれ、政治活動を本格化、党組織も急速に再建されつつあった。だが、危機感を持った軍事政権は03年5月末、地方遊説中のスー・チー書記長、ティン・ウ副議長らを拘束、首都にいたアウン・シュエ議長ら7人が自宅軟禁、NLD本部事務所も封鎖された。民主勢力封じに欧米は姿勢を硬化させ、ASEANにとっても大きな足かせとなっている。07年8月燃料価格引き上げへの反発をきっかけにヤンゴンなどで抗議デモが起こった。9月に入ると学生だけでなく僧侶もデモに加わり、大規模な民主化要求運動としての広がりを見せたものの軍事政権の強硬策によって運動は鎮静化した。
ミャンマーの政党。National League for Democracy(略称NLD)。国軍によるクーデタと反政府運動弾圧に抗して,1988年9月アウンサン・スーチーらが中心となって結成。初代議長はティン・ウ。スーチーは書記長。1989年7月クーデタで誕生した国家法秩序回復評議会はティン・ウ議長とスーチー書記長を自宅軟禁処分にしたが,1990年5月の総選挙でNLDが485議席中392議席を獲得。軍事政権に政権の委譲を求めたが,政権側は〈新憲法の制定が民政移管の前提条件〉として拒否。NLDは,1990年12月に少数民族反政府組織とともに〈ビルマ連邦国民連合政府〉の樹立に参加。軍事政権との対決姿勢を明確にした。6年間にわたるスーチー書記長の自宅軟禁が1995年7月解除され,軍事政権との対話が期待されたが,NLDは1995年11月の新憲法の制定のための国民会議をボイコット。軍事政権との妥協を拒否し,現在も民主化のための活動が続けられている。 →関連項目カレン民族同盟|ミャンマー