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カンボジア内戦 カンボジアないせん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

カンボジア内戦
カンボジアないせん

1970年に始まったカンボジアにおける戦争。ベトナム戦争の激化とともに,カンボジアではロン・ノル将軍ら右派が勢力を伸ばし,1970年3月,国家元首ノロドム・シアヌークの外遊中に無血クーデターで権力を握った。これに続いてアメリカ合衆国,南ベトナム軍がカンボジア越境作戦を展開,カンボジアも全面的な戦争に巻き込まれた。これに対しシアヌークはただちに亡命先の北京で元首解任が非合法であることを声明し,カンプチア民族統一戦線王国民族連合政府を結成。同 1970年4月にはインドシナ人民首脳会議を開催して,インドシナ 3国の抗米祖国解放共闘体制を確立した。1971年に入ると解放軍が人民解放軍最高司令部を設置して内戦はますます激化。1973年1月パリ和平協定が成立してアメリカのロン・ノル政府への援助が減少したため,戦局は解放戦線側に圧倒的に有利になった。1975年春の解放戦線側の大攻勢を受けてロン・ノル政権は崩壊し,同 1975年4月プノンペンが陥落,親中国のポル・ポト政権のもとカンボジアは共産化した(→民主カンプチア)。しかし 1978年12月ベトナム軍のカンボジア侵攻により第3次インドシナ戦争(→インドシナ戦争)が勃発,カンプチア人民共和国ヘン・サムリン政権)が発足し,ポル・ポト政権と対立した。1989年にベトナム軍が撤退し,1991年10月にパリ和平協定が締結されると,国連カンボジア暫定統治機構 UNTACが介入,停戦監視などの活動を行なった。1993年5月総選挙が実施され,7月1日シアヌークを国家元首とする暫定政府が成立。その後もポル・ポト派(→赤いクメール)は武装解除に応じなかったが,1998年にポル・ポトが死亡し,内戦は事実上終結した。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

カンボジア内戦

カンボジアは1970年以降、国家元首シアヌークの追放、ポル・ポト派による虐殺、ベトナムの軍事介入動乱が続いた。背景には、冷戦下の大国間の対立があった。冷戦終結後の91年、ようやく和平の道筋がつき、国連PKOに新国家樹立の準備が任された。

(2017-10-31 朝日新聞 朝刊 東特集H)

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