日本大百科全書(ニッポニカ) 「カンポ・フォルミオ条約」の意味・わかりやすい解説
カンポ・フォルミオ条約
かんぽふぉるみおじょうやく
1797年10月7日、フランスとオーストリアとの間で結ばれた講和条約。カンポ・フォルミオCampo Formioはイタリアの小村名。96年春以来北イタリアの各地でオーストリア軍を連破したナポレオンにより主唱され、両国間で調印された。これにより、オーストリアはベネチアを領有するが、ロンバルディアを放棄する。フランスはイオニア諸島とネーデルラントを保有し、さらにライン川左岸の地を確保することをオーストリアに約束せしめた。しかし、98年ナポレオンがエジプト遠征を行うや、イギリスの提唱する第2回対仏大同盟にロシア、オーストリアなど諸国が加わり、ライン戦線でもフランスが劣勢に転じた結果、おのずから条約の効力は失われ、ふたたび両国は戦争状態に突入した。
[金澤 誠]