改訂新版 世界大百科事典 「グレコロマン様式」の意味・わかりやすい解説
グレコ・ロマン様式 (グレコロマンようしき)
ローマ時代につくられたギリシア風美術の総称。前31年のアクティウムの海戦でギリシアを屈服させたローマは,造形芸術においては被征服者であるギリシア人の美術を継承した。彼らはギリシア美術を様式的に発展させてローマ独自の美術を生んだが,他方では,過去のギリシア美術を手本にすべきもの,古典的なものとして賛美し,模倣した。そして公共施設,聖域,宮殿,私邸を飾るために,おびただしい数の美術作品をギリシア人の地から運び込んだが,それだけではなお足りず,ギリシアの美術作品を当代の美術家たちに大量に模倣させた。このようにして,様式的発展とはかかわりなく過去の美術を模倣制作しつづけるという現象が生じたのである。この模倣には,さまざまなバリエーションがあった。彫刻では,ギリシアの原作を機械的に,したがって外形をより忠実に模刻したもの(いわゆるロマン・コピー),模作者あるいは注文者の気ままな趣味で原作の一部を変えたもの(いわゆるパスティッチオpasticcio),また特定の原作にならったのではないが,神々や神格化された皇帝・皇妃をギリシア的理想像で表したものなどがつくられた。絵画においても事情はほぼ同じであったが,ギリシアの絵画作品をローマ時代に大いに発展したモザイクに写すことも行われた。ローマが最も独自性を発揮した建築の分野では,ギリシアの建物がそのまま模倣建造されることはまれであったが,コリント式の柱頭飾や装飾の細部などはそのまま受け継がれたものも多く,ローマ建築の特徴とさえなった。このような古典主義的なグレコ・ロマン様式が姿を消すのは,5世紀になって,形の美しさよりも内的な表現に重きを置く表現主義的な美術が確立し,また過去の神話世界とはかかわりのない主題を表すキリスト教美術が主流となってからである。
→ローマ美術
執筆者:中山 典夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報