コイレ(読み)こいれ(その他表記)Alexandre Koyré

日本大百科全書(ニッポニカ) 「コイレ」の意味・わかりやすい解説

コイレ
こいれ
Alexandre Koyré
(1892―1964)

フランスの科学思想史家。ロシアのタガンロフに、富裕なユダヤ人商人の子として生まれる。1908年ゲッティンゲン大学留学フッサールに師事し、1911年にはパリ大学に移って研究。フランスに帰化し、『デカルト研究』(1922)、『アンセルムス研究』(1923)を著し、パリの高等研究所所員、1930年モンペリエ大学教授、1932年高等研究所研究主任。1939年実証的な研究に基づく『ガリレオ研究』を発表。1940年アメリカに亡命、1945年パリに戻るが、1955年プリンストン高等研究所常任研究員となった。『閉じた世界から無限宇宙へ』(1957)、『天文学革命』(1961)などの著作があり、科学史学に大きく寄与した。

内田 謙]

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改訂新版 世界大百科事典 「コイレ」の意味・わかりやすい解説

コイレ
Alexandre Koyré
生没年:1892-1964

ロシア出身の哲学史家,科学史家。母国中等教育を終えた後,フランスのパリ大学に留学した。そしてデカルトとアンセルムスの研究で博士号を得て,パリの高等研究所の所員となった。最初は哲学史の研究に従事したが,メイエルソンの影響を受けて,しだいに科学思想史に関心を向けるようになり,1939年には画期的な業績と評される《ガリレイ研究》を出版した。第2次世界大戦後は,プリンストン高等研究所の常任研究員とパリの科学技術中央研究所の所長を兼任しながら,科学史におけるいわゆるインターナル・ヒストリー主唱者として,《閉じた世界から無限宇宙へ》(1957),《天文学革命》(1961)等の労作を次々と発表した。戦後科学史学は著しい発展を遂げたが,彼の存在を抜きにしてこの発展を論じることはほとんど不可能であるといえよう。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コイレ」の意味・わかりやすい解説

コイレ
Koyré, Alexandre

[生]1892.8.29. タガンログ
[没]1964.4.28. パリ
ロシア生れのフランスの哲学者,科学史家。ロシアで中等教育を受けたあと,ドイツのゲッティンゲン大学で E.フッサールに師事し哲学を学び,パリ大学に移ってからは哲学史の研究で博士号を取得。その後 E.メイエルソンの影響のもとに科学思想史の研究に専念していく。特に科学哲学を主題とした 16~17世紀における近代自然科学の発生の研究で著名。第2次世界大戦中にアメリカに亡命し,戦後はプリンストン高等研究所とパリの科学技術史研究所で研究を続けた。主著に『ガリレオ研究』 (39) ,『閉じた世界から無限宇宙へ』 (57) があり,1950年代の科学史学界に強い影響を与えた。

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百科事典マイペディア 「コイレ」の意味・わかりやすい解説

コイレ

ロシア出身の科学史家。米国のプリンストン高等研究所の常任研究員,パリの科学技術中央研究所所長などを歴任。《ガリレイ研究》(1939年),《閉じた世界から無限宇宙へ》(1957年),《天文学革命》(1961年)などの著書がある。

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世界大百科事典(旧版)内のコイレの言及

【科学史】より

… 次にこうして集積されたデータを基にして,ある歴史観あるいは解釈を加えて,なんらかの筋の通った歴史を構成しようとする試みが生まれてくる。フランスの物理学者P.デュエムや,ロシアに生まれ,最後はアメリカに渡ったA.コイレの一連の仕事を先駆として,アメリカのギリスピーC.C.Gillispieの《客観性の刃》(1960。邦題《科学思想の歴史》)に至るさまざまな科学史書が,その範疇(はんちゆう)に入ると思われる。…

※「コイレ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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