コモロ(読み)こもろ(その他表記)Union of Comoros 英語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「コモロ」の意味・わかりやすい解説

コモロ
こもろ
Union of Comoros 英語
Union des Comores フランス語

アフリカ南東部、アフリカ大陸とマダガスカル島の間のインド洋に位置するコモロ諸島の主たる四つの島のうち、グランドコモロ(エンジャジジャ)島、アンジュアン(エンズワニ)島、モヘリ(ムワリ)島の3島で独立国家を形成している島嶼(とうしょ)国。コモロ諸島最南東部のマヨット(マホレ)島はフランス領である(コモロは領有を主張)。面積1862平方キロメートル(マヨット島を含む面積は2235平方キロメートル)、人口57万5660(2003センサス)、約87万(2020世界銀行)。首都はグランドコモロ島のモロニである。正式名称はコモロ連合Union des Comoresであり、1975~1978年はコモロ共和国、1978~2001年はコモロ・イスラム連邦共和国と称した。

[寺谷亮司 2022年3月23日]

自然

主要3島は玄武岩質の火山島であり、最高点はグランドコモロ島の活火山・カルタラ火山の標高2361メートルである。その他の小島はサンゴ礁性の島々である。主要3島の地形は、火山体および溶岩台地の山地部と狭い海岸低地に区分され、島はサンゴ礁に縁どられている。典型的な熱帯モンスーン気候下にあり、年降水量は1500~4000ミリメートル、場所により8000ミリメートルに達する。12~3月は北からのインド洋モンスーンが吹いて暑い雨期となり、サイクロンに襲われることもある。5~10月は南東モンスーンが吹き、乾燥して比較的涼しい。首都モロニの年平均気温は25.7℃、年降水量は2825ミリメートルである。「生きている化石」として名高い古代魚のシーラカンスは、コモロ諸島付近でもっとも多く確認されており、これまで200個体以上が捕獲されている。

[寺谷亮司 2022年3月23日]

歴史

6世紀まではマレー・ポリネシア人が居住していたといわれているが、その後アフリカ人やアラブ人が来住し、中世には紅海やペルシア湾沿岸地域から宗教的理由で避難民が来住してスルタン小国家を形成して互いに対立していた。17~19世紀にはポルトガル人などが海賊の基地として島々を使用した。コモロ諸島は1843年にマヨット島、1886年には全島がフランスの属領となり、1912年に公式にフランス植民地になった。1973年6月にパリで5年以内の独立協定が調印され、1974年12月に国民投票を実施した結果、キリスト教徒の多いマヨット島はフランス残留、イスラム教徒の多い3島は独立に賛成した。1975年7月にコモロ立法議会はマヨット島を含む全島の独立を宣言したが、1976年2月および4月の住民投票で、マヨット島はフランス残留を再決定した。

[寺谷亮司 2022年3月23日]

政治

1975年7月の独立以降、政情は不安定である。独立時の大統領アブダラーAhmed Abdallah(1919―1989)は同年8月のクーデターにより排斥され、1976年1月にソイリーAli Soilih(1937―1978)が大統領に就任し、社会主義路線をとった。しかし、1978年5月の白人傭兵(ようへい)による軍事クーデターによってソイリーは殺され、前大統領アブダラーが復活した。1989年、アブダラーもクーデターによって暗殺され、後を継いだジョハルSaid Mohamed Djohar(1918―2006)が暫定大統領となり、1990年3月の選挙によって第3代大統領に就任し、複数政党制を導入する憲法改正と総選挙を実施した。1995年9月にクーデター未遂事件が起こり、大統領ジョハルはフランス領レユニオン島へ逃亡した。1996年3月に実施された大統領選挙で、コモロ民主主義国民同盟の党首タキMohamed Taki Abdoulkarim(1936―1998)が大統領に選出された。1998年11月、タキが急死し、共和国最高評議会委員長タジディンTadjidine Ben Said Massounde(1933―2004)が大統領代行となったが、1999年4月、軍参謀総長アザリAzali Assoumani(1959― )によるクーデターが成功し、アザリが大統領に就任した。

 2001年12月の国民投票によって採択された新憲法により、大統領はグランドコモロ、アンジュアン、モヘリ3島の輪番で選出されることとなり、2006年4~5月の選挙ではアンジュアン島のサンビAhmed Abdallah Mohamed Sambi(1958― )が当選し、大統領に就任した。大統領の任期は4年。議会は一院制で議席数は33、議員任期は5年。2010年12月の大統領選挙では副大統領のイキリルIkililou Dhoinine(1962― )が選出され、2011年5月に大統領に就任した。2016年5月の大統領選挙では、元大統領のアザリが大統領に選出され、2019年3月の大統領選挙でも再選された(2018年の憲法改正で大統領の輪番制を維持しながら再選できるようになった)。

[寺谷亮司 2022年3月23日]

経済・産業

経済の基盤は農業であり、国土の約45%が農地となっている。主要農産品は、生産量の多い順にココナッツ(ココヤシの果実)、バナナ、キャッサバ(マニオク)、米、サツマイモトウモロコシクローブなどである。ただし、良好な農地の多くは支配階層や外国資本の所有となっており、主穀作物の耕地は不足して生産量は必要量に大きく満たないため、米などの食糧の多くを輸入している。輸出品として、コプラ(ココヤシの果実の胚乳を乾燥させたもの)、バニラ、クローブ、イランイランなどがあり、おもにアンジュアン島で生産される。とくにバンレイシ科の熱帯性常緑高木で香水用精油をとるイランイランはコモロが世界最大の輸出国である。

 貿易は大幅赤字で、主要輸入国はアラブ首長国連邦とフランスである。経済は在外コモロ人からの送金や外国からの援助に大きく依存しており、フランスなどの欧米諸国やアラブ諸国からの援助が多い。通貨はコモロ・フラン。ハヤヤ国際空港と首都を結ぶ重要道路でさえ自動車がすれ違うことのできない1車線で、しかも大きな穴だらけであり、港は大型船が係留できる港湾設備がモロニ港にないなど、インフラ整備の遅れはきわめて深刻である。

[寺谷亮司 2022年3月23日]

社会・文化

住民のほとんどは、移民史を反映してマレー人、アラブ人、アフリカ人、ペルシア人、インド人、マダガスカル人などの混血からなるコモロ人である。そのほか少数のフランス人、アラブ人、インド人、マダガスカル人が居住する。言語はフランス語、アラビア語、コモロ語(バントゥ語族系サバキ・グループの一派でスワヒリ語に似る)が公用語であり、スワヒリ語も普及している。宗教はイスラム教スンニー派のシャーフィイー学派が優勢で、イスラム教が国教である。

 義務教育は8年であり、2018年の初等教育修了率76%、15歳以上国民識字率59%などは、アフリカのイスラム国家のなかでは高率である。高等教育機関としては、唯一のコモロ大学がある。

[寺谷亮司 2022年3月23日]

日本との関係

日本とは1977年(昭和52)に外交関係を樹立した。日本国大使館はなく、在マダガスカル日本国大使館が業務を兼轄している。日本へはおもにイランイラン(香水用精油)、バニラビーンズを輸出し、日本からは船舶、通信機、船外機、鉱山用機械、自動車などを輸入している。在留邦人数は3人(2020)。

[寺谷亮司 2022年3月23日]

『エルヴェ・シャニュー、アリ・ハリブ著、花渕馨也訳『コモロ諸島』(2001・白水社)』


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「コモロ」の意味・わかりやすい解説

コモロ
Comoro

基本情報
正式名称=コモロ連合Union des Comores 
面積=2235km2 
人口(2011)=80万人 
首都=モロニMoroni(日本との時差=-6時間) 
主要言語=フランス語,アラビア語,スワヒリ語 
通貨=コモロ・フランComorian Franc

アフリカ大陸とマダガスカルの間のモザンビーク海峡の北口に散らばる島からなる独立国。フランス語ではコモルComoreと呼ぶ。おもな島はヌジャジジャ(グランド・コモロ),ムワリ(モヘリ),ヌズワニ(アンジュアン),マホレ(マヨット)の4島で,ほかはサンゴ礁の小島である。

玄武岩質の火山島群で,最高点はヌジャジジャ島のカルタラ活火山で,標高2361mを示す。人口の集中する狭い海岸低地には,堡礁(ほしよう)型のサンゴ礁の発達している部分が多い。南緯11~13°に散らばり,熱帯湿潤気候下にある。北からインド洋モンスーンの吹きつける11~4月の季節がとくに降水も多く,高温(12月の平均気温約27℃)であり,南東風の卓越する5~10月は比較的乾燥し,気温もやや低い(7月の平均気温約23℃)。年降水量は島により地形により変化をみせ,モロニで2740mm,ザウジで1100mmである。
執筆者:

歴史的ないきさつで,住民の構成は非常に多様である。はじめマレー・ポリネシア人が居住していたが,その後アラブやアフリカ人,さらにペルシア人が移住した。そのため現在の住民は,マレー,インド,アラブ,ペルシア,中国,マダガスカル,アフリカなどの人びとの混血からなっている。言語はフランス語とアラビア語が公用語とされているが,スワヒリ語も共通語として普及している。スルタン王国が存在して宗教はイスラムのシャーフィイー派が多数派を占めるが,マホレ島だけはカトリック教徒も多く居住する。4島の人口は合わせて約37万人であるが,さらに約10万人がタンザニア,ケニア,マダガスカル,レユニオンなどの近隣の国や,フランスに出稼ぎ移民として出ている。
執筆者:

コモロ諸島にはさまざまな人種が住んでいるが,初期の移民は紅海方面から来たと言われ,のちにマダガスカル,マレー,アラブ地域,インド,中国,ペルシア,アフリカからも移住してきた。17世紀にアラブがイスラム小国家をいくつかつくったが,常に互いに対立した。17~19世紀半ばにポルトガル人をはじめとするヨーロッパ人が海賊の基地としてコモロを使用した。1843年海賊の被害に対する住民の訴えによって,フランスはマホレ島を保護領化し,次いで86年ヌジャジジャ島,ヌズワニ島,ムワリ島も保護領とし,さらに91-98年に各島を順次,正式に植民地とした。1912年にはフランス植民地マダガスカルの行政区に組み込まれた。第2次世界大戦中,イギリスがインド洋海軍基地として一時コモロを占領したが,戦後フランスに返還した。

 58年フランス共同体に残るか独立かの国民投票でコモロは前者を選び,フランス海外領となり,61年A.アブダラー(コモロ独立連合党党主)の下に内政の自治権を獲得した。73年独立問題をめぐってパリでフランス政府と交渉が行われ,それに基づいて74年12月国民投票が行われた。その結果,カトリックが多く親仏的なマホレ島を除く他の3島は独立に賛成し,翌75年2月主都モロニで各政党代表から成る制憲会議が開かれた。同年7月アブダラーを国家元首として国民議会は全島の独立を宣言したが,フランスは全島の独立を認めず,マホレ島はフランスの支配下に置かれた。

独立宣言直後の1975年8月,連合国民戦線がクーデタを起こしてアブダラーを失脚させ,代わってS.M.ジャファルを首班とする行政審議会がつくられ,76年1月A.ソイリーを大統領に選んだ。一方,フランスはマホレ島を除く3島のみの独立を承認し,76年2月と4月にマホレ島の住民に再度独立の賛否を問う国民投票を施行したが,結果は同じであった。ソイリー政権は77年民主・社会主義を標榜して,フランスの残した機構を一掃し,ムーディラと呼ばれる自治組織を基礎とする社会主義化政策を推進した。78年フランス人傭兵によるクーデタでソイリーは殺され,アブダラーが復帰した。そして同年10月の国民投票の結果,コモロは4島で構成されるコモロ・イスラム連邦共和国となった。復帰したアブダラー政権はソイリー前政権の路線を改め,イスラムと伝統的封建制に基盤を置いたが,依然としてフランスとベルギーの傭兵に依存しており,傭兵の費用は南アフリカ共和国が負担した。82年に憲法が改正され,アブダラー政権の権力はいっそう強化され,ヌジャジジャ島中心主義が強まり,マホレ島を除く3島への政府歳出はわずか5%であった。89年11月,大統領を警護する外国人傭兵部隊によりアブダラー大統領が暗殺されたが,フランス軍が上陸しクーデタは失敗,臨時大統領にジョハルSaid Mohammed Djoharが就任した。90年3月に大統領選挙が行われ,ジョハルが当選した。

 78年の国民投票でマホレ島はフランス植民地にとどまることを64%の投票率で決めたが,フランスは同島のザウジ港を軍港として使用するかわりに,毎年多額の開発援助を行っている。

 92年6月,新憲法が採択され,コモロの政治的民主化は進展するかにみえたが,95年9月に傭兵によるクーデタ未遂事件が起こり,ジョハル大統領は国外に逃亡した。翌96年1月のアンタナナリボ合意によってジョハル大統領は帰国したが,同年3月の大統領選挙により新大統領にタキが選出された。1997年8月,ヌジャジジャ島中心主義に反対するヌズワニ島,ムワリ島の〈分離運動〉が起こり,2島はフランス領への復帰か,それが実現しない場合,分離独立の要求を行った。これに対し,冷戦終結後アフリカへの介入を縮小しつつあるフランスはその要求を拒否し,アフリカ統一機構(OAU)での解決にゆだねた。OAUは特使を派遣し,分離独立を阻止する代わりに,2島の自治権拡大,予算配分の公正化をコモロ政府に提示した。

基本的に農業国であり,主要産品はトウモロコシ,キャッサバ,サトウキビ,米,バナナなどの食糧作物のほかに,輸出用としてバニラ,チョウジ,コプラ,パーム油を生産している。75年のクーデタによるフランスとの外交関係悪化後,フランスとの結びつきの深かったコモロ経済は危機的状況に陥ったが,国連,アラブ諸国の緊急援助によって持ちこたえた。78年のアブダラー政権成立以降フランスとの関係は再開され,貿易,援助とも最大相手国となっている。さらに近年はアラブ諸国の機関であるアラブ銀行,クウェート基金,OPECなどの援助のほか,サウジアラビア,クウェート,イラク,オマーンなどの国からも援助を受けている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「コモロ」の意味・わかりやすい解説

コモロ

◎正式名称−コモロ連合Union of the Comoros(2001年12月,コモロ・イスラム連邦共和国Federal Islamic Republic of the Comorosを改称)。◎面積−1862km2(マホレ(旧マイオット)島を含む,以下同)。◎人口−69万人(2010)。◎首都−モロニMoroni(4万人,2002)。◎住民−マレー人,インド人,アラブ,アフリカ人などの混血。◎宗教−大部分がイスラム(スンナ派)。◎言語−大部分はアラビア語,ほかにフランス語(以上公用語),スワヒリ語。◎通貨−コモロ・フランComorian Franc。◎元首−大統領,イキリル・ドイニンIkililou Dhoinine(2011年5月選出,任期5年)。大統領は,ヌジャジジャ(大コモロ),ヌズワニ(アンジュアン),ムワリ(モヘリ)各島から持ち回りで選出されることが憲法で規定されている。◎憲法−2001年12月新憲法承認,2009年5月国民投票により憲法改正。◎国会−一院制(定員33,任期5年)。2004年4月選挙結果,発展国民連合39,正義国民戦線2など。◎GDP−5億ドル(2008)。◎1人当りGNP−660ドル(2006)。◎農林・漁業就業者比率−75%(1997)。◎平均寿命−男59.5歳,女62.3歳(2013)。◎乳児死亡率−63‰(2010)。◎識字率−74.2%(2009)。    *    *アフリカ大陸とマダガスカル島の間の群島国家。マホレ(マヨット),ヌジャジジャ(大コモロ),ヌズワニ(アンジュアン),ムワリ(モヘリ)などの島々からなる。山がちでヌジャジジャ島にはカルトラ火山(2560m)がある。バニラ,コプラ,カカオ,コーヒー,サイザル麻などを産する。 古くからアラブの航海者が来島し,イスラム国家がつくられた。17−19世紀,ヨーロッパ人海賊の基地となり,島民からの保護要請を機に,1843年マホレ島がフランス領となり,1898年までに他の島々もフランス領となった。1961年自治政府が成立。1974年の住民投票で,カトリックが多く親フランス的なマホレ島以外は独立に賛成した。1975年自治議会は全島の独立を宣言したが,フランスはマホレ島の独立は認めず,その帰属は係争中である。1978年フランス人傭兵部隊がクーデタを起こして大統領を殺害し,1989年まで政治を事実上支配した。傭兵のクーデタは1989年,1995年にもあったが,最終的にはフランス軍が上陸して鎮圧した。1997年ヌズワニ,ムワリ2島の分離・独立運動が起こり,政府軍と武力衝突に至ったが,アフリカ統一機構(OAU)などの仲介により,2001年国民和解協定が調印され,国民投票で,各島に大幅な自治を認めた連邦制新憲法が承認された。2004年各島及び連合議会選挙が実施され,議会が開会したことによって国民和解プロセスが完了,民主化が着々と進められている。
→関連項目モザンビーク海峡

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コモロ」の意味・わかりやすい解説

コモロ
Comoros

正式名称 コモロ連合 Union of Comoros。
面積 1861km2
人口 81万2100(2021推計。フランスまたはマヨット島在住のコモロ人約 15万人を除く)。
首都 ンジャジジャ島モロニ

アフリカ大陸とマダガスカルのほぼ中間,インド洋南西部のモザンビーク海峡北端にある島国。ンジャジジャ島(旧称グランドコモロ島),ンズワニ島(旧称アンジュアン島),ムワリ島(旧称モエリ島)の 3島と周辺のサンゴ礁の小島からなる。各島とも火山性で山がち。原始林はほとんどなくなり,海岸にはマングローブ,標高 400m付近まではココナッツ,マンゴー,バナナなどの植林がみられる。熱帯季節風気候で,5~10月が乾季。季節風の吹く 11月の最高気温 28℃。冬の 7月の最低気温 20℃。雨季にはサイクロンや高潮に見舞われる。15世紀頃アフリカ大陸,インドネシア,アラビアからの移民が到来,1506年,当時のアンジュアン島にイスラム教徒のスルタンの小王朝がつくられ,南東方のマヨット島を含むコモロ諸島全域を支配。1843年フランスがマヨット島を占領して保護領とし,1886年ほかの 3島もフランスの保護領となった。1947年フランス海外領となり,1975年ンジャジジャ,ンズワニ,ムワリの 3島が共和国として独立。キリスト教徒の多いマヨット島は住民投票の結果,フランス海外領としてとどまった。1999年 A.アザリ軍参謀本部長がクーデターで政権を掌握。2001年国民投票により新憲法を採択,現国名に改称した。バニラ,カカオ,コーヒー,サイザルアサ,コプラ,クローブ,イランイランをはじめとする香油用植物を輸出。住民はアラブ人,マレー人,マダガスカル人などの混血で,大部分はイスラム教徒。公用語はフランス語とアラビア語,コモロ語も広く用いられる。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「コモロ」の解説

コモロ
Comoro

アフリカ大陸とマダガスカル島の間に位置する島国。インド洋交易に従事し,紅海,マダガスカル,アラビア,マレー,アフリカなどから移民が流入。17世紀以降白人海賊の拠点であったが,19世紀フランス領となり,1975年独立。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android